龍人鳥の徒然フォト日記

ryujincho.exblog.jp
ブログトップ
2017年 06月 03日

『高田馬場 2017.6.3』

6月3日(土曜)。
久しぶりに母校を訪ねた。

東京六大学野球春のリーグ戦。
早慶戦で慶応が勝てば、慶大の優勝。
早大が勝てば、立大の優勝。
で、早大が勝ち、立大が1999年秋以来、35季ぶりに優勝を決めた。
我が母校が優勝した訳ではないが、久しぶりに母校へ行ってみようと思い立ち、高田馬場駅に降り立った。

駅前商店街のマスコット・キャラクターが目に入る。
a0289546_11480.jpg
群馬県の「ぐんまちゃん」とキャラが被っているが、あちらは県名、こちらは江戸時代の旗本たちの馬術練習場。
どちらも大事な、おウマさんのマスコット・キャラ。

マスコット・キャラの下に立ち、早稲田通りを挟んで、向かいのビルを眺める。
向かいのビルには、数年前に閉店したが、ムトウ楽器店があった。
先月半ば、矢切の渡しに乗船した。
そのときのことをブログに綴った際、ムトウ楽器店のことに触れた。
そんなこともあって、向かいのビルを眺めたのであった。

因みに、先月半ばに綴ったブログは、こうであった(抜粋)。

==============================
先ほど、柴又から乗船した老夫婦の奥さんはスマホで細川たかしの「矢切の渡し」をを流していた。
そのとき、細川たかしじゃなくって、ちあきなおみでお願いします、と言おうと思ったが、気が小さいのでそんなことも言えず。

小生は、ちあきなおみが歌う「矢切の渡し」が好きだ。
歌謡曲「矢切の渡し」は、そのヒットまでに紆余曲折があったようだ。
ウィキペディアにその経緯が縷々書かれている。
その中から抜粋してここに引用させて戴く。
---------------------------------
矢切の渡し(曲)
「矢切の渡し」は、石本美由起の作詞、船村徹の作曲による演歌。
1976年(昭和51年)、ちあきなおみのシングル「酒場川」のB面曲として発表された。
それから6年が経った1982年(昭和57年)、ちあき盤「矢切の渡し」は梅沢富美男の舞踊演目に用いられたことで好評を博し、同年6月に開始したTBS系列のテレビドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(梅沢も出演した)の挿入歌としても使用されて話題を集めた。
そこで、同年10月21日に本作をA面としたシングルが改めて発売された。
翌1983年(昭和58年)に多くの歌手によって競作され、中でも細川たかしのシングルが最高のセールスとなった。
---------------------------------

「細川たかし 識」の石碑は「昭和59年3月吉日」となっており、ヒットした翌年のものであることが分かる。
細川たかしは歌は上手いが、「おれ、上手いやろ」という気持ちが表に出過ぎて、いわゆる、鼻に付くというやつで、細川たかしファンには申し訳ないことだが、感じが悪い。
プロの歌手なんだから、歌が上手いのは当たり前。
そういうことで、細川たかしは好きではないのである。

その点、ちあきなおみは、いい。
ちあきなおみは、1969年、「雨に濡れた慕情」でデビュー。
高田馬場駅前のムトウレ楽器店でデビュー曲のキャンペーンがあった。
当時、小生は新宿区戸塚町、都電の面影橋近くに下宿していたW大の学生で、クラシック音楽を聴くことが趣味であったので、ムトウレコード店によく通っていた。
そんなこともあり、ちあきなおみなる女性歌手が来店するということを事前に知り、ミーハーでもあったので、当日、ルンルン気分で、店へ足を運んだのであった。

店は1階がポピュラー音楽と歌謡曲、2階がクラシック音楽のコーナーとなっており、ちあきなおみは2階から1階へ階段を下りながら、「雨に濡れた慕情」を歌うという憎い演出であった。

当時は知らなかったが、ちあきなおみは1947年生まれ、小生は1948年生まれ、なおみさんは1歳年上のお姉さんだったのだ。

以来、日劇で彼女のショーを見たりして、ずっと、彼女のファンなのである。
今は、YouTube やテレビ東京系のBSジャパンの懐かしの昭和歌謡番組などで彼女の歌が聴ける、彼女の姿を見ることができるだけであるが、テレビ東京系の「演歌の花道」で来宮良子のナレーションで始まる、ちあきなおみの「矢切の渡し」は何度聴いても絶品である。

(2017年5月13日付けブログ『江戸川ポタリング/矢切の渡し(下)』 より抜粋)
==============================

早稲田通りを大学の方へ向かって歩く。
西早稲田交差点の角で「旧跡 高田馬場跡」の説明板を眺める。
a0289546_1382670.jpg
江戸時代、この辺りは「戸塚村」。
小生はこの辺りに下宿しており、当時は「新宿区戸塚町」。
今は「新宿区西早稲田」。
西や東より、「戸塚町〇丁目」でよかったのに。
この辺りに下宿していた当時は、斯様に立派な説明板などはなかった。
あるのは、「安兵衛湯」なるよき名の銭湯であった。
その銭湯も今はなく、マンションになっている。
彼是、50年も前の話である。

水稲荷神社境内の堀部武庸加功遺跡碑は、今回は素通りとし、大学へと向かう。

フォト:2017年6月3日
[PR]

by ryujincho | 2017-06-03 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)


<< 『早稲田大学演劇博物館 201...      『コブハクチョウ・ファミリー ... >>