龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 05月 22日

『太田道灌ゆかりの地を訪ねて/川越』

5月18日、晴れ。
一泊二日の旅。
秩父神社参拝、三峯神社参拝、長瀞ライン下り、旅の最後は川越観光。

川越といえは、時の鐘。
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川越といえば、サツマイモ。
サツマイモも、近年は、こうしたお洒落な姿に。
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川越といえば、小生にとっては、時の鐘でもサツマイモでもなく、太田道灌ゆかりの地。

川越市役所前。
石碑/「川越城大手門跡」。
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太田道灌像。
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台座に嵌め込まれた説明板。
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太田道灌公像
川越は、古代から、この地方の文化の中心であった。
長禄元年(西暦1457年)に太田氏が川越城を築き、更に江戸城を築いて川越の文化を江戸に移したので、川越は江戸の母と呼ばれた。
明治以後も引続き埼玉県第一の都府として、大正11年(1922年)、他に魁けて市制を施行した。
ここに市制50周年を迎えるに当り市庁舎を新築し、川越市開府の始祖とも仰ぐ太田道灌公の銅像を建て、古き歴史を偲びつつ新しき未来を開こうとするものである。
昭和47年7月吉日
川越市長 加藤 瀧二
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正面の御姿を、ぐぐっと近寄って。
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斜めからの御姿を、ぐぐっと近寄って。
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左手の設えを、ぐぐっと近寄って。
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右手の設えを、ぐぐっと近寄って。
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山吹の枝が右の手にしっかりと握られている。

山吹伝説について。
兄弟ブログ「上総守が行く!」で縷々綴ったことがあり、それをここで引用しておきたい。
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2012年7月28日付け
「太田道灌ゆかりの地を訪ねて/江戸の巻/新宿中央公園、久遠の像」(抜粋)

七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき

山吹伝説。
或るとき、道灌が鷹狩りに出かけた折、俄か雨に遭ってしまった。
近くの農家に駆け込み、蓑を貸してくれないかと頼んだところ、若い娘が山吹の枝を差し出した。
蓑を貸してくれと頼んだのに花の枝とは何事か、花では雨がしのげぬではないかと、内心腹立たしく思いながら、雨の中を帰っていった。
城に戻った道灌、早速、このことを家臣に語ったところ、家臣の一人が「後拾遺集に醍醐天皇の皇子 中務卿兼明親王(なかつかさきょうかねあきしんのう)の詠まれた『七重八重花は咲けども山吹のみ(実)のひとつだになきぞかなしき』との歌が御座りまする。農家の娘は『みのひとつだになきぞかなしき』と蓑ひとつない貧乏を山吹の花に例えたので御座りまする」といった。
それを聞いた道灌は己の不明を大いに恥じ、歌道に益々精進するようになった。

山吹伝説、更なる言い伝え。
山吹の枝を差し出した農家の娘の名は紅皿。
後に、道灌は紅皿を江戸城に呼んで和歌の友としたとの説もある。
道灌、亡き後、紅皿は大久保に庵を建てて尼となり、死後、その地に葬られ、大聖院(新宿6丁目)の境内にある碑は紅皿の墓ともいわれている。
また、大聖院の脇の坂は山吹坂と称されている。
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今回、川越を訪ねたことで、またひとつ、「太田道灌ゆかりの地」の消し込みが叶った。
「太田道灌ゆかりの地」を列挙し、めぐり始めたのは2012年のこと。
足掛け5年での「川越」達成と相成ったこととなる。

ここで、「太田道灌ゆかりの地を訪ねて」を思いたった2012年のときのことを、兄弟ブログ「上総守が行く!」を引用して、振り返っておきたい。

「太田道灌ゆかりの地を訪ねて/江戸の巻」の2012年7月22日付け第1話と、2012年7月28日付け第7話で、「太田道灌ゆかりの地」を次の通り列挙している。
※〇印:訪問済み、△印:未訪問を、今回、印した。
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「太田道灌ゆかりの地を訪ねて/江戸の巻」 第1話(抜粋)

退職前のことである。
「上総の昼餉散歩」と称して、昼餉を終えたあと、時折、仕官先江戸屋敷の周辺を散歩することがあった。

或る日、御濠端を「上総の昼餉散歩」していたところ、平川橋の袂近くに「太田道灌公追慕之碑」なるものが建立されていることに気付いた。
毎年の「赤穂浪士討入凱旋の旅」の中で、皇居東御苑内の"松の大廊下跡"に立ち寄ることがあり、平川橋を渡り、平川門から入場することが多いにも拘らず、この「太田道灌公追慕之碑」には、ついぞ、気付かなかった。

これまで、JR日暮里駅前の「太田道灌騎馬像」や/面影橋(豊島区高田)近くの「山吹の里の碑」を訪ねたり、不忍通りで地名標識「道潅山下」に出遭ったりしているが、「太田道灌公追慕之碑」に遭遇した機会に、太田道灌ゆかりの地として他にどんなところがあるのだろうと思い、調べてみた。

前述の碑や像に加え、いろいろとあった。
<都内>
〇平川橋/追慕之碑
〇有楽町/東京国際フォーラム・ガラス棟/立像
〇不忍通り/地名標識「道灌山下」
〇西日暮里駅西側/道灌山跡(西日暮里公園)
〇日暮里駅西側/月見寺(本行寺)/道灌が築いた斥候台跡に「道灌丘之碑」
〇日暮里駅前/騎馬像
〇豊島区高田 面影橋付近/山吹の里の碑
△同/山吹の里公園
〇新宿中央公園/久遠の像
<神奈川県>
〇鎌倉市/英勝寺/扇谷上杉家家宰太田道灌屋敷跡
△伊勢原市/伊勢原観光道灌まつり
△同市上糟屋/扇谷上杉氏糟屋館跡(産業能率大学)
△同市下糟屋/大慈寺/首塚
△同市上糟屋/洞昌院/胴塚
<埼玉県>
〇さいたま市岩槻区/(旧)岩槻区役所庁舎前/立像
〇同/芳林寺/騎馬像
〇同/岩槻城址(公園)
〇同/地名「太田」
〇川越市役所庁舎(川越城大手門跡)/立像
〇入間郡越生町/山吹の里歴史公園
(以下、省略)
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「太田道灌ゆかりの地を訪ねて/江戸の巻」 第7話(抜粋)

「江戸の巻」を綴りながら、新たに都内おける「ゆかりの地」が幾つか見つかった。
△新宿区/地名「山吹町」
△新宿区6丁目/大聖院/紅皿の碑
△新宿区6丁目/大聖院脇/山吹坂
△荒川区/道灌山学園保育福祉専門学校
△根津神社/文明年間、太田道灌が社殿を奉建。
これらは、何れ、「江戸の巻」Part II で巡ってみたい。
新宿区山吹町は走行済みなるも、地名標識の取材も兼ねて、もう一度。
根津神社は幾度も訪問済みだが、道灌ゆかりの地であることを念頭に、再び。

(追記)
〇長野県佐久市/『久遠の像』(佐久市立中央図書館脇)
新宿中央公園の『久遠の像』のブログを見た、盟友、大給守殿から「佐久市にもよく似た像があります」とのメッセージと共に写真が送られて来た。
何故、佐久市に『久遠の像』があるのかは不明なるも、新たな「ゆかりの地」が見つかった。
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この機会に、上記で列挙した「太田道灌ゆかりの地」の頭に、訪問済みは〇印、未訪問は△印を付けて整理してみた。
併せて、訪問済みの期日もこの機会に整理してみた。
「江戸の巻」・・・2012年4月21日
「岩槻の巻」・・・2012年6月10日
「江戸の巻」(新宿中央公園/久遠の像)・・・2012年6月18日
「鎌倉の巻」・・・2012年12月23日
「江戸の巻」(皇居内/道灌堀)・・・2014年4月7日(註)
「佐久の巻」2014年10月18日
「越生の巻」・・・2016年2月27日
「川越の巻」・・・2017年5月18日
(註)皇居内/道灌堀はリスト外。皇居乾通り一般公開のお陰で見学することが叶った。

マイ・ブログの「太田道灌ゆかりの地を訪ねて」の関連記事も整理してみた。
「江戸の巻」、「岩槻の巻」、「鎌倉の巻」
「佐久の巻」
「越生の巻/龍穏寺」
「越生の巻/山吹の里歴史公園」

今回、三峯講二代目講元の企画のお陰で、太田道灌ゆかりの地の川越を訪ねる機会を得た。
二代目講元に感謝!である。

そして、この機会に、これまでの「太田道灌ゆかりの地を訪ねて」の実績整理も出来た。

残るは、「伊勢原の巻」と「江戸の巻」(Part II)。
さて、これらの達成はいつの頃となろうか。
楽しみである。

フォト:2017年5月18日
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by ryujincho | 2017-05-22 23:31 | 太田道灌ゆかりの地を訪ねて | Comments(0)


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