龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/龍ヶ崎市(1)』 ki-3

2月12日(日曜)。
祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ。

藤代宿の東端、小貝川/宮和田の渡しに至り、少し、上流の国道6号線(現・水戸街道)の文巻橋を渡り、龍ヶ崎市に入る。

龍ヶ崎市内の旧水戸街道を走りながら、立ち寄りった先については、一昨年10月に走ったときのことを綴ったマイ・ブログ、「旧水戸街道ポタリング/若柴宿の巻」をご覧いただくとして、本ブログではそれ以外の<特記事項>を綴っておきたい。
「旧水戸街道ポタリング/若柴宿(上)」
「旧水戸街道ポタリング/若柴宿(中)」
「旧水戸街道ポタリング/若柴宿(下)」

小貝川右岸から左岸から対岸の宮和田の渡しを眺める。

「上総さん、富士山が見えます」と武衛さん。
「よく、気づいて貰いました。サンキューです」と上総。

小貝川左岸からの富士の姿。
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ズームアップ。
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東の筑波、西の富士。西の富士をカメラに収めたなら、関東平野を挟んで東にそびえる筑波山の姿も撮ってやらねば。
先ほど、文巻橋から撮った筑波山に加え、富士山を眺めた同じ場所からの筑波山もカメラに収める。
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ズームアップ。
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日本百名山、標高順、第1位は、申すまでもなく、富士山(3776m)、そして、標高順、第100位は筑波山(877m)。
何故、筑波山が日本百名山なのかという議論があるようだが、それはここでは語らない。
ただただ、東の筑波、西の富士、なのである。

若柴宿。
一昨年10月にも訪ねた「鬮神社」へ。
前回のブログでも記したが、「くじ」は、「籤」ではなく、「鬮」の漢字が使われている。
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鬮神社。
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この雰囲気が好きだ。
前回、訪ねたときにも思ったことだが、宮崎駿監督のアニメーションに登場してもよさそうな雰囲気だ。

財布からロト6の券を取り出し、祠の前に置き、当たりを祈願。
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祠の前に置かれた杓文字には合格祈願や宝くじ当選祈願が記されている。
<記録>として、前回、訪ねたときも祈願の杓文字の写真を撮ったので、今回も撮ってみた。
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前回(2015年10月20日)、撮ったものもここに掲載しておこう。
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前回と今回を見比べてみたところ、面白いことが分かった。
今回の左から六つ目の杓文字には「オータム宝くじ高額当選お願いします」とあり、前回の左から二つ目は「宝くじが大きく当たりますように」とある。
願い事の下に書かれた名前を見ると同じ名前であった。
他人様のお願い事を眺めているようでは、オイラのロト6の当たりは望めないな...。

稀勢の里は、密かに、この神社にお参りし、優勝と横綱昇進を祈願したかもしれないと思いながら、表通りの旧水戸街道へ戻る。

街道筋には大きな屋敷が並ぶ。
見越しの松に白梅の図。
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新田義貞ゆかりの藁干観音の言い伝えのある金龍寺にも梅の花が真っ盛り。
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本堂。
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龍コレクション。
眼に金色が塗りこめられている龍も珍しい。
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扁額コレクション。
金龍寺の名に相応しい金文字の扁額。
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星神社。
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意味深な形の注連飾り。
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「男山」と墨書されている。
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この注連縄の形と「男山」の墨書に込められた意味を、機会があれば、龍ヶ崎市教育委員会に尋ねてみようと思う。

前回は、鳥居近くにある神社の由緒書きに目を通し、その場で参拝して終わったが、今回は参道を進む。
すると、武衛さんが「上総さん、こちらに相撲ネタになることがありますよ」と教えてくれた。

「献納 一力長五郎」の札と共に一対の燈篭(常夜灯)が立ち、その脇に「一力長五郎の略歴」が書かれていた。
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一力長五郎の略歴
長五郎は当地富士の下出身の力士。
幕末期の江戸大相撲で活躍。
幕末期の江戸大相撲で活躍。
本名は山崎安好で文化11年(1815)生まれ。
安政6年(1859)前頭筆頭に昇進、上位陣に強く大物食いの長五郎と言われた。
同年8月巡業先の奥州一ノ関で病没(44才)。
星宮神社には長五郎が奉納した燈籠2基がある。
死を前に「牛久沼越しに富士山の見える場所に墓を作ってくれ」と遺言を残した。
文久3年(1863)地元有志により冨士の下の牛久沼が見える場所に墓が建てられた
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武衛さんが、道路脇の「若柴宿案内図」の左下に、小さく、小さく、書かれた「一力長五郎墓」の文字を見つけた。
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説明板にある通り、牛久沼が見える場所なのであろう。
次回、機会があれば、墓参に行ってみたい。

常陸国あるいは茨城県出身力士を調べてみた。
(江戸時代)
稲妻雷五郎(7代横綱、常陸国河内郡阿波崎村(現・茨城県稲敷市)、文政の三傑・古今十傑
(明治以降)
常陸山谷右エ門(19代横綱)、水戸市
男女ノ川登三(34代横綱)、つくば市
武双山正士(元大関)、水戸市
大内山平吉(元大関)、ひたちなか市
多賀竜昇司(元関脇)、日立市
水戸泉政人(元関脇)、水戸市
日立龍栄一(元前頭)、日立市
大至伸行(元前頭)、日立市
雅山哲士(元大関)、水戸市
稀勢の里寛(72代横綱)、牛久市
髙安 晃(最高位、関脇)、土浦市

一力長五郎の名はない。
江戸時代の力士の記録は相当に有名でないと、一般の資料には出ないのであろう。
江戸時代の記録を詳細に調べてみなければ、説明板に書かれた略歴以上のことは分からない。

稀勢の里は、相撲教習所で一力長五郎のことを勉強したであろうか。
相撲教習所で教えられなくとも、郷土の力士であるから知っていると信じたい。

今回は稀勢の里関連ポタ。
武衛さんのお陰で、相撲関連で、一力長五郎なる関取の<取材>が出来た。

今のところ、龍ヶ崎市に入り、稀勢の里関連取材は出来ていない。
綴ったのは、稀勢の里は密かに鬮神社にお参りしたんじゃないかとか、郷土の力士、一力長五郎のことを知っているだろうかとか、想像の範囲でのことだけである。

稀勢の里が通っていた小学校と中学校での取材に期待出来る。
旧水戸街道を横切る県道243号線を右折、東進し、龍ヶ崎ニュータウンにある、稀勢の里が通っていた小学校と中学校へと向かう。

フォト:2017年2月12日
フォト#5、#9:2015年10月20日(アーカイブより)

(つづく)
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by ryujincho | 2017-02-13 23:03 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)


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