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龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 01月 09日

『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/世田谷区の巻(Ⅰ)』 df-5

1月7日(土曜)。
ドラポタ走り初め/東京の灯よいつまでもポタ。

目黒不動尊に参り、目黒通りを西へ走る。
「次は、駒沢オリンピック公園、松陰神社、豪徳寺、世田谷八幡宮となります。駒沢オリンピック公園は中根交差点を右折して、自由通りを北上。これをカットするなら、その手前の柿ノ木坂陸橋交差点を右折して環七を北上。後工程を考え、駒沢公園はカットしましょうか」。
「駒沢公園はカットしましょう」。

駒沢オリンピック公園。
2020年の東京五輪の施設建設で、声高に、レガシー、レガシーと叫んでいる御仁がいる。
レガシー、レガシーと叫んでいる割りには、駒沢オリンピック公園の施設利用の話はまったく耳にしない。
1964年の東京オリンピックが開催された当時、旧国立競技場や駒沢オリンピック公園がレガシーになると思われていたはず。
ということは、いま、レガシー、レガシーと言って建設される施設も、いずれ、旧国立競技場や駒沢オリンピック公園のように解体されたり、忘れ去られたりするのであろう。
今回は時間の都合で駒沢オリンピック公園はカットするが、2012年に世田谷在の猫殿が案内してくれた「世田谷寺社めぐり」の中で訪ねて以来、行っていないので、2020年の東京五輪開催までに、もう一度、訪ねておきたい。

松陰神社。
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申すまでもなきことながら、祭神は「吉田寅次郎藤原矩方命(よしだとらじろうふじわらののりかたのみこと)」。
神紋は「五瓜に隅立て万字」。
吉田家の家紋である。
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参道を進む。
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「松蔭先生、2012年1月以来のご無沙汰です」。
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境内奥の松下村塾を眺める。
「学は、人なる所以を学ぶなり」(松下村塾記)

萩の松蔭神社、そして、松下村塾を訪ねたのは、2010年秋のことであったなあ...。
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アーカイブ(2010年11月19日)より。
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世田谷の松蔭神社に話を戻して。
「一月 松蔭先生の言葉」。
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一月 松蔭先生の言葉
神明を崇め尊ぶべし。
妹 千代宛書簡
安政元年 在野山獄
十二月三日 二十五歳
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妹 千代宛書簡
安政元年(1854)12月3日
◎神明を崇め尊ぶべし。
大日本と申す国は神国と申し奉りて、神々様の聞き給える御国なり。
然ればこの尊き御国に生まれたるものは貴きとなく、賤しきとなく、神々様をおろそかにしてはすまぬことなり。
併し世俗にも信神心という事する人もあれど、大てい心得違ふなり、神前に詣でて柏手を打ち、立身出世を祈りたり、長命富貴を祈りたりするは皆大間違ひなり。
神と申すものは正直なるを好み、又清浄なる事を好み給う、夫れ故神を拝むには先ず己が心を正直にし、又己が体を清浄にして、外に何の心もなくただ慎み拝むべし。
是を誠の神信心と申すなり。
▲児玉家に嫁ぎ一児の母となった妹に送った手紙、松陰先生の家族観、育児観、女性観そして各々の家風を尊重し微風として受け継ぐことが大切としている。
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この日のポタリングには不出馬ながら、盟友、南国守殿がドラポタのメンバーとなる切っ掛けとなったのは、世田谷在の友、猫殿の計らいによるものであった。
猫殿と南国守殿は某商社の同僚にて、筆者の顧客で、若いころから仕事のみならず、夜な夜な、一緒に遊ぶこともあり、云わば、社会人になってからの、ポン友である。
南国守殿は2000年から或る南の国に駐在となり、時折、メル友はしていたが、10余年、会っていなかった。
2012年1月、猫殿の誘いで「世田谷寺社めぐり」を挙行。
コースは「東急田園都市線桜新町駅~<林田(水前寺清子)邸>~<長谷川町子美術館>~玉川大師~二子玉川~野毛公園~等々力渓谷~<小林旭邸>~九品仏/浄真寺~<小澤一郎邸>~日体大~駒沢大学~駒沢オリンピック公園~<猫殿ファクトリー/かとう>~<元・笠置シズコ邸>~世田谷八幡宮~豪徳寺~松陰神社~東急電鉄田園都市線駒沢大学駅前/居酒屋「酉の市」>というもので、最後の訪問地が松蔭神社、そして、反省会は駒沢大学駅前の居酒屋「酉の市」であった。
居酒屋「酉の市」へ入った瞬間、見慣れた顔が。
南国守殿であった。
10余年ぶりの再会であった。
「上総ちゃん、自転車、やってるんだって。おれさぁ、この3月で完全隠居だから、今、やってる合気道、登山、魚釣りに加え、自転車もやりたいんだよ」。
「了解!自称、自転車の伝道師。今は寒いから、春になる前に愛馬をゲットし、暖かくなったら、あちこち、一緒に走りましょう。いい馬市を知ってますんで、いずれ、そこへお連れしましょう」。
こうして、南国守殿はこの年、ドラポタのメンバーになったのであった。
そういうことで、ここ、松蔭神社は思い出の地なのであった。
ここで、改めて、猫殿に感謝!と申し上げておきたい。

松蔭神社から西へ走り、豪徳寺、世田谷八幡宮へと向かう。

フォト:2017年1月7日
フォト#1:大給守殿提供
フォト#6~#11:2010年11月19日(アーカイブより)

(つづく)

by ryujincho | 2017-01-09 23:35 | 東京の灯よいつまでも | Comments(0)


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