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龍人鳥の徒然フォト日記

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2016年 10月 18日

『三陸復興国立公園/北山崎』

9月6日。
三陸復興国立公園/北山崎。

10年ぶりに眺める断崖の景観。
得意(???)の、遠・中・近・超近で。
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「第1展望台からの眺望」。
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この案内板でいいものをみつけた。
左手前の岩に「ミサゴの営巣地」と記され、ミサゴの飛翔図が描かれている。
案内板に照らしながら、もう一度、断崖の景観を眺める。
鳥影が見える。
ひょっとしたら、ミサゴか!?
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鳥影の部分を拡大、<鳥見ング>。
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はっきりと識別は出来ないが、黒に白の体色が視認出来る。
ミサゴの形態(雄雌ほぼ同じ色彩、背中と翼の上面は黒褐色、腹部と翼の下面は白色、顔も白色、眼を通って首に達する太い黒褐色の線が走る)に照らしてみる。
飛翔している鳥の白の体色が背中の部分であれば、ミサゴの形態(背中の上面は黒褐色)に反する。
だが、何らかの都合で、尾をぐっと上げ、腹部が見えているのなら、ミサゴの形態(腹部の下面は白色)に合致する。
一応、ミサゴらしき鳥ということにしておこう。

更に飛翔している鳥はいないかと、彼方に目を遣ると、群れで飛んでいる鳥がいる。
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拡大、<鳥ミング>。
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腹部は一部だけ白色で残りは黒っぽく、翼の下面も黒っぽい。
ミサゴとは言い難い配色である。
しかし、尾羽の広がり方はミサゴのようでもある。
ミサゴが群れで飛ぶということはあるのだろうか。
この鳥名は鳥博物館の学芸員さんに確認すべき事案としておこう。

上空を見上げる。
空高く、2羽の鳥が飛翔している。
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拡大、<鳥ミング>。
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尾が特徴的である。
尾は二股で、いわゆる燕尾形である。
アジサシの一種と思われる。

前日、下北半島/仏ヶ浦遊覧船の発着港の佐井で、佐井村のシンボルの鳥はミサゴであると知った。
北山崎と合わせ、二日連続で、ミサゴ情報を得た。
因みに、筆者の鳥見フィールドである手賀沼でミサゴを見る機会があるが、これは湖沼であり、海のミサゴ情報は新鮮である。
期せずして、北山崎で2種類の鳥見が出来、喜んでいる。

さて、話が相前後するが、三陸復興国立公園について、少し触れておこう。
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三陸復興国立公園
三陸復興国立公園は、東北地方側約180kmにわたって指定されている、わが国の外洋性の海岸景観を代表する国立公園です。
本公園のぼぼ中央に位置する宮古湾付近を境に、北部は大規模な隆起性の段丘海岸で、比較的出入りの少ない単純な海岸線をもち、南部は沈降性のリアス式海岸で、外洋に長く突き出た半島や岬と深い湾入が繰り返し展開しています。
いずれも海洋によって激しく侵食されており、高さ50mから200mにも達する海食崖、無数の海食洞、海食棚など地形的変化に富み、「海のアルプス」とも称されています。
本公園では、陸上からだけでなく、遊覧船などにより海上からも海岸景観の鑑賞が楽しめるほか、自然歩道の探勝や魚釣り、サケやウニに代表される魚介類の味覚探訪、夏季の砂浜での海水浴などが楽しめます。

北山崎
北山崎は、長い年月をかけて海底から隆起してできた海岸です。
高さ200mにも及ぶ断崖の迫力、この見事なまでの自然造形美は訪れた人を魅了します。
晴天時はもちろんですが、朝日に染まる岩肌やヤマセに包まれる奇岩怪岩など、私たちにさまざまな姿を見せてくれます。

環境省
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三陸海岸はすべて沈降性のリアス式海岸と思っていたが、北は隆起性の段丘海岸、南は沈降性のリアス式海岸だったのだ。

子供の頃、国立公園の切手シリーズの中に「陸中海岸国立公園」があった。
調べてみると、それも含め、幾度か「陸中海岸国立公園」切手が発行されているようである。
環境省のホームページの「国立公園一覧」を見ると、「指定:1955年5月2日(陸中海岸国立公園として指定)/2013年5月24日(区域を拡張し、三陸復興国立公園として指定)」とある。

2011年の東日本大震災による津波で指定区域が大きな被害を受けたことを受け、震災からの復興および被害の伝承を目的として、2013年、区域を拡張し、「三陸復興国立公園」に改めたのである。

以前から、「陸中」なのに「三陸」と呼ばれたり、陸前・陸中・陸奥のすべてが入っていないのに「三陸」とよばれたりして、複雑なことになっていたが、指定区域も含め、「三陸復興国立公園」となり、すっきりしたのである。
余談ながら、弊ブログのカテゴリーは、正確には「出羽国・陸奥国・陸中国の旅」とせねばならないところを「出羽国・陸奥国の旅」としているが、これは明治になっての陸奥国の分割以前の意を踏まえてのことである。

松林の中の、観音像。
何故、ここに建立されているのか...。
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ビジターセンター前から断崖方面を眺める。
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ビジターセンターに入る。
映像での紹介。
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「絶景も、絶品も、いっぱい用意して待ってんぞ。」
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絶景も、絶品も、いっぱい用意して待ってんぞ。
高さ200メートルの絶壁が8キロも連なる北山崎は、迫力ある姿から海のアルプスと呼ばれるほどだべ。
それに、ここ田野畑村は昔ながらの漁村が残る日本有数の場所でな、今はウニとホヤが旬。
いい海で育ったホヤは、甘くって最高だべ。
雄大な景色はもちろん、新鮮な海の幸も楽しみにな。
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ウニといえば、海女さん。
”先輩”海女さん。
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”後輩”海女さん。
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海女さんが登場したことでもあり、南部ダイバーにも登場願おう。
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NHK朝の連ドラ「あまちゃん」で、南部ダイバーを育てる三陸高校潜水土木科が登場した。
これは、岩手県立種市高等学校海洋開発科(九戸郡洋野町種市)がモデルとなっている。
福士蒼汰が演じる北三陸高校潜水土木科卒の青年の名は種市浩一。
知名あるいは校名の「種市」が青年の苗字に使われているのである。
脚本の宮藤官九郎は、エライ!
皆川猿時が演じる教師と生徒が共に歌う歌、『南部ダイバー』の作詞作曲は、洋野町種市出身の安藤睦夫の手によるものである。

♪白い鷗か 波しぶき
♪若い血潮が 踊るのさ
♪カップかぶれば 魚の仲間
♪僕は海の底 南部ダイバー

♪広い海だよ 千尋の底さ
♪通う心も生綱だより
♪命をかけた 男の仕事
♪僕は海の人 南部のダイバー

♪沖はどどろく 発破のひびき
♪腕におぼえの くろがね切りさ
♪技と度胸の 晴仕事
♪僕は海の華 南部のダイバー

余談ながら、安藤睦夫は、往年のヒット曲『北上夜曲』の作曲者でもある。

ホンドタヌキの剥製。
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本州最北端、下北半島/大間崎でブランキストン線の解説があった。
タヌキもブランキストン線を境にして、ホンドタヌキとエゾタヌキに分かれる。

北山崎断崖の真打、登場!
ミサゴのパネル写真。
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小生が撮った、マイ・鳥見フィールド、手賀沼のミサゴもここに登場させておこう。
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海のミサゴを撮ってみたいものだ...。

北山崎を訪れる前々日、日本海側の入道崎を訪れた。
入道崎は北緯40度を<売り>にしていた。
北山崎はそうしたことは<売り>にしていないが、北緯はほぼ同じである。
入道崎/北緯40度0分24秒 東経139度42分3秒
北山崎/北緯39度58分49秒 東経141度57分20秒
中1日を挟んで、日本海側と太平洋側の北緯40度近辺を訪ねたことになる。
特段、それがどうしたということはないが、地理のベンキョーになった。

次回、北山崎を訪れる機会があれば、ミサゴ、ミサゴと唱えながら、展望台へと進んで行きたい。

フォト#1~#21:2016年9月6日
フォト#22~#24:2013年11月8日

by ryujincho | 2016-10-18 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)


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