龍人鳥の徒然フォト日記

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2014年 04月 04日

『ソメイヨシノ誕生の地<染井村>を訪ねて/慈眼寺』(4)

染井霊園をあとにして、細道を通り、隣りの慈眼寺(じげんじ)へと向う。
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慈眼寺は5年前の夏に訪れたことがあり、備前守さん、伊豫守さん御両氏を案内したかった場所である。
「この寺に吉良家家老の小林平八郎の墓があるとのことで、5年前の夏、赤穂浪士討入凱旋の旅の番外編で訪ねたことがあります。そのとき、何処に墓があるのか分からず、暑い中、探し回り、ひっくり返りそうになった記憶があります。探し出せないので、寺務所で尋ね、教えて貰いました。この寺には、小林平八郎の他に、司馬江漢、田沼意次、芥川龍之介、谷崎潤一郎などの著名人の墓もあります」と能書きを垂れながら、ご案内。

と綴りながら、5年前に綴った、兄弟ブログ「上総守が行く!」/2009年7月29日付「都内日陰ポタ/慈眼寺」を紐解いてみた。
それをここに転記しておくこととしたい。

---------- 兄弟ブログ「上総守が行く!」、2009年7月29日付から引用----------

『都内日陰ポタ/慈眼寺』 mp-5

染井霊園脇を走り、慈眼寺(じげんじ)に到着しました。
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慈眼寺の墓地の入り口の案内書きには、当寺に墓のある著名な人物のあらましが書かれていました。
先ほど、染井霊園の案内板で見た谷崎潤一郎については書かれていませんでしたが、新たに斉藤鶴磯なる人物の名が出て来ました。
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墓地内を暫く歩くと、芥川龍之介の墓の場所を矢印で示す札が立てられていました。
芥川龍之介の墓前で合掌。
芥川比呂志、也寸志の名も墓誌に刻まれていました。合掌。

更に奥へ歩くと司馬江漢や斉藤鶴磯の墓の場所を示す札も立てられていました。

さて、小林平八郎の墓は?と思うも、その場所を示す札は見当たりません。
墓地内をぐるっと回り、墓に刻まれた名前をひとつずつ見ていきました。
墓を示す立て札はありませんでしたが、谷崎潤一郎の墓を見つけました。合掌。

しかし、幾ら探しても、小林平八郎の墓は見当たりません。
寺に向かい、受付の人に尋ねたところ、「司馬江漢の右隣」と教えて貰えました。

再び、墓地へ。
ありました!! 先ほど、墓地内は"予習"済みでしたので、当然ですが...。
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「小林平八郎平央通霊廟」と刻まれていました。合掌。

「央通(ひさみち)」は、吉良上野介義央が「義央(よしひさ)」の一文字を取り、小林平八郎に与えた名と言われており、これは理解出来ますが、「央通」の前の「平」と読み取れ文字の意味がよく分かりません。

暑さのため、この「平」と思われる文字の意味するところを推測する集中力もなく、また、いつもは墓の側面や背面の文字を書き取ったりしますが、その気力もありませんでした。

今回は墓の場所が分かっただけでも有難いこと、この「平」は後日の“宿題”とし、慈眼寺を後にしました。

小林平八郎については、既に訪ねた吉良家菩提寺/華蔵寺(愛知県幡豆郡吉良町)、清水一学の墓/円融寺(同)、吉良家江戸菩提寺/功運寺(東京都中野区上高田)、吉良義周の墓/法華寺(長野県諏訪市)や何度も訪れた本所松坂町吉良邸跡(東京都墨田区両国)などと共に「赤穂浪士討ち入り凱旋の旅/番外編/吉良家ゆかりの地を訪ねて」の中で何れ綴ってみたいと思っています。

フォト:2009年7月25日

(つづく)
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去年も一昨年の夏も暑かったが、2009年の夏も暑かった。
川沿いのサイクリングロードは日陰がなく、休憩する場所もないので、猛暑、酷暑を少しでも凌げる工夫として、ビルの日陰がある都内ポタをやっていたということが思い出される。
そして、「都内日陰ポタ」と題していたのは、我ながら上手いなあと自画自賛するのである。

5年前と今回の違いは、寺の門が閉ざされていたことだ。
5年前はお盆の時期でもあり、門に灯明と小さな幔幕(?)が設えられていたのであろう。
そして、何よりの違いは、猛暑と春の風、季節の違いであった。

このブログを綴るに際してベンキョーになったことは、慈眼寺は、元和元年(1615年)、深川六間堀猿子橋に建立、その後、本所猿江に移転、大正元年(1912年)、谷中妙伝寺と合併し、現在地の巣鴨に移転したということである。
であれば、本所松坂町吉良邸で赤穂浪士に討たれた小林平八郎の墓がここにあることも分かるような気がする。
また、芥川龍之介は東京市本所区小泉町(現在の墨田区両国)にある母の実家の芥川家に預けられ、後年、伯父芥川道章の養子となり、芥川姓を名乗ることになったことから、龍之介の墓がここにあるのも分かるような気がする。

慈眼寺の隣りの、本妙寺へと向う。

フォト#1:2014年3月31日
フォト#2~#5:2009年7月25日

(つづく)
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by ryujincho | 2014-04-04 17:48 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)


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