龍人鳥の徒然フォト日記

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2014年 04月 01日

『ソメイヨシノ誕生の地<染井村>を訪ねて/JR駒込駅北口角』(1)

3月31日(月)、『大放談会』のメンバー、備前守さん、伊豫守さんと共にソメイヨシノ誕生の地<染井村>(東京都豊島区駒込)を訪ねた。

『大放談会』は2010年の12月から始まった。
当初は備前守さんと小生の二人で一献傾ける会であったが、その後、伊豫守さんも加わり、いつの頃からか、一献傾ける前に街歩きをすることが定例となった。
ということで、今回の街歩きは、花見の季節でもあり、ソメイヨシノ誕生の地<染井村>を訪ねることにしたのであった。

先ず、JR駒込駅北口角の「豊島区立染井吉野記念公園」に立ち寄る。
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園内にソメイヨシノの発祥の由来を説明する碑があると聞く。
碑は直ぐに見つかった。
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染井吉野櫻發祥之里 駒込
駒込の一部は、江戸時代、染井と呼ばれ、巣鴨とともに花卉・植木の一大生産地であった。
この地で江戸時代以降数多くの優れた園芸品種が誕生したが、なかでも染井吉野は当地の地名から名付けられ、世界を代表する桜の品種となった。
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ソメイヨシノ誕生の地の説明としてはちょっと物足りない。
数年前、趣味の「赤穂浪士討入凱旋の旅」<番外編>のひとつとして、吉良家家老 小林平八郎の墓参で染井霊園隣りの慈眼寺を訪れた際、ついでに、ソメイヨシノと染井村のことをしっかりとベンキョーした。
そのときにベンキョーしたことは「染井村(現在の豊島区駒込)の植木屋がエドヒガンとオオシマザクラを交配して作り出したサクラを大和の吉野桜に因んで『吉野桜』と名付けて売り出し、大ヒットした。しかし、大和の『吉野桜』はヤマザクラであって、それと混同するとのことで、改めてソメイヨシノと名付けられたとのことである」ということであった。
で、今回、このブログを綴りながらベンキョーしたことは、明治になって、サクラの調査をした植物学者の藤野寄命博士が別種であることを示し、ソメイヨシノの命名者になったしということである。

碑文の続きとして「左の絵は、植木屋の第一人者、染井の伊藤伊兵衛の庭で大勢の人が花を愛でている様子である」と記され、北尾政美が描く「染井之植木屋(絵本江戸桜)」(享和3年、1803年)が添えられている。
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花屋の伊兵衛といふ つつじを植えしおびたヾし 花のころ八貴賎群集す 其外千草方木かずをつくすとなし 江都第一の植木屋なり 上々方の御庭木鉢植など 大かた此ところよりささぐること毎日々々なり
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この書画で当時の染井村の様子が窺える。

この絵を描いた絵師、北尾政美とは?と思い、調べてみたところ、何と、北尾政美(きたおまさよし)は、東京スカイツリーの関わりで知った「江戸一目図屏風」を描いた津山藩のお抱え絵師、鍬形蕙斎(くわがたけいさい)のことであった。
津山藩のお抱え絵師になり、鍬形蕙斎と称したのは1794年(寛永6年)のことである。
「染井之植木屋(絵本江戸桜)」が描かれたのは1803年(享和3年)となっており、津山藩のお抱え絵師となった後に描いたものということになる。
ちょっと辻褄が合わないような気もするが、ここではそれ以上のことは詮索せず、北尾政美と鍬形蕙斎が同一人物であったということだけに留めておきたい。

染井吉野記念公園から染井通りへと向う。

フォト:2014年3月31日

(つづく)
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by ryujincho | 2014-04-01 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)


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