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龍人鳥の徒然フォト日記

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2019年 05月 13日

『二代目龍人鳥襲名御披露』

長らく、マイ・ブログ『龍人鳥の徒然フォト日記』をご愛顧を賜って参りましたが、新たに二代目を開設し、掲載を続けることと致しました。

二代目のブログ名およびURLは次の通りです。

ブログ名:「龍人鳥の徒然フォト日記(二代目)」
URL:https://ryujinchofamily.exblog.jp/

初代『龍人鳥の徒然フォト日記』をご愛顧賜りましたこと、心より御礼申し上げます。
『龍人鳥の徒然フォト日記』は二代目が襲名することと相成りますが、初代の『龍人鳥の徒然フォト日記』も閉じることなく、オープンし続けますので、初代、二代目とも今後もご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。

「龍人鳥の徒然フォト日記(二代目)」は、こちらをポチッ!

2019年5月13日


# by ryujincho | 2019-05-13 23:01 | Comments(0)
2019年 05月 12日

『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 

5月8日(水曜)、晴れ。
前日は姫路市内の古墳探訪、単独にて。
この日は、加古川市内の古墳探訪、関西の盟友、六々守さんと共に。
古墳探訪を終え、加古川から、この日の投宿先、明石へ。

明石駅のホームに降り立つ。
いつぞや、兄貴から「明石へ行く機会があったら、明石城を見ておくとよい。随分と雰囲気が変わっている」とのメールを貰った。
そんなこともあり、明石駅のホームから明石城を眺める。

左手(西)の「坤櫓」、右手(東)の「巽櫓」。
幼き頃からずっと見慣れている明石城の二つの櫓。
これだけでは何も変わったことはない。
強いて言うなら、以前は、櫓と櫓の間は垣根であったが、白壁の塀になっていることだけ。
これとて、白壁の塀になったのは阪神淡路大震災で被災した櫓や石垣の復旧の中でのことで、それから随分と経っており、見慣れたものである。
『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 _a0289546_18092415.jpg

右手(東)に目を遣る。
東の「巽櫓」の辺りから東側の風景が随分と変わっている。
二つの櫓の辺りの石垣は以前から見えていがた、右手の方の石垣は木立に隠れて見えなかった。
しかし、木々が伐採され、石垣が西の端から東の端まですっきりと見えているのである。
どちらがよいかと問われれば、見慣れているせいもあり、以前の方がよかったということになるが、今年で築城400年ということもあり、変化があってもおかしくはないとも思えるのであった。
『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 _a0289546_18141112.jpg

一宿一飯ならぬ、二宿二飯の投宿先、御典医さんの屋敷に到着。
「今日はドソラド倶楽部のピアノマンのライブを聴きに、みんなで今から三ノ宮へジャズ・ライブに行くで」と。
みんなとは、御典医さん、播磨守さん、本町奉行さん、ドソラド倶楽部のバンマスさん、そして、小生の5人。
久し振りの三ノ宮、古墳探訪疲れも何のその、張り切って三ノ宮へ出陣。

北野坂を上る。
左手に"SONE(ソネ)"の灯かりが。
"SONE"は神戸の老舗ライブ・ジャズ・バーであることは申すまでもなきことかと。
ジャズピアニスト、小曽根真の実家、これも申すまでもなきことかと。
『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 _a0289546_18303940.jpg


"SONE"を通り過ぎ、右手のビル上階の"Jazz Bar Y's Road"に到着。
"Y's Road"、この名を見ると、自転車愛好家なら誰もが知っているスポーツバイク専門店を想像するが、然に非ず。
れっきとした Jazz Bar である。


ジャズに酔い、酒に酔い、ブレてます。
『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 _a0289546_18322012.jpg

ジャズ・ライブを聴き終え、階下へ。
「おーい、写真、撮るでぇ」。
ご機嫌の、御典医さん、播磨守さん、本町奉行さん、ドソラド・バンマスさん。
『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 _a0289546_18323375.jpg

北野坂を下り、明石へ戻る。
古墳探訪、そして、ジャズ・ライブ、真逆が楽しめた良き1日であった。


5月9日(木曜)、晴れ。
高校のクラス会へ。
昨年夏、中学の同窓会「古希の集い」に、つづいて、秋、高校の同窓会「古希の集い」に。
高校の古希の集いの際、クラスの幹事役さんから「毎年1回、クラス会もやっているんで」との話を聞き、今年、参加することにしたのであった。
クラス会で大いに歓談し、大いに飲み、更に二次会も大いに楽しんだ。


5月10日(金)、晴れ。
この日は、前日のクラス会での酔い覚まし休息日、そして、翌11日の奈良古墳探訪に備え、奈良への移動日。


奈良に移動する前に、明石公園へ。
今年、2019年は明石城築城400年とのことで、ゴールデンウィーク中、公園内でいろいろなイベントが開催されたとのこと。
『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 _a0289546_19354242.jpg

東の「巽櫓」をズームアップ。
『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 _a0289546_19355861.jpg

西の「坤櫓」をズームアップ。
『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 _a0289546_19361312.jpg

芝生広場。
ゴールデンウィーク中の、明石城築城400年「明石城まつり」のイベントのテントなどを撤去中。
ここで大物演歌歌手のコンサートが催されたそうだ。
幼き頃の、芝生広場での記憶、それは花火大会の折、この芝生に座って、城の石垣の上から流れ落ちる仕掛け花火。
その名は「ナイアガラの滝」。
その後、いつの頃からか、花火大会の会場は明石公園から中崎海岸に移り、「ナイアガラの滝」は失せてしまった。
『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 _a0289546_19364076.jpg

「別名、喜春城。桜百選の春を喜ぶお城です」と染め抜かれた幟端。
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「天守閣はない。ロマンはある」と染め抜かれた幟端。
『播磨国・大和国古墳探訪/明石~三宮~明石の巻』 _a0289546_19380863.jpg

築城当時から天守閣はなかったという。
因みに、築城と並行して城下町の町割りも実施され、町割りは宮本武蔵が指導したといわれている。

坤櫓。
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巽櫓。
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石段。
石段を上り、明石の町並み、そして、明石海峡と淡路島を眺めてみたいが、時間の都合上、次の機会にとする。
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奈良へ向かうため、明石駅へ。
駅のホームから明石城を望む。

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フォト:2019年5月8日、10日

「播磨国・大和国古墳探訪」<姫路市・加古川市の巻>(完)

=お知らせ=
「播磨国・大和国古墳探訪」の続編、<大和国の巻>は、新設のマイ・ブログ『龍人鳥の徒然フォト日記(二代目)』に掲載させていただきます。
新設の『龍人鳥の徒然フォト日記(二代目)』の URL は次の通りです。
https://ryujinchofamily.exblog.jp/



# by ryujincho | 2019-05-12 23:32 | 播磨国・大和国古墳探訪2019/播磨の部 | Comments(0)
2019年 05月 12日

『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20

5月8日(水曜)、晴れ。
加古川市内の古墳探訪。
関西の盟友、六々守さんと共に。

北から順に古墳探訪。
古代寺院、西条廃寺跡も探訪。
この日の最後は、加古川市立総合文化センターの博物館見学。
先ず、弥生時代後期の墳墓のコーナーを見学。
続いて、古墳時代のコーナーで数多の展示を見学。
続いて、時代は一気に飛んで、古代寺院、西条廃寺のコーナーへ。

古代寺院、西条廃寺。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_06255202.jpg
寺院の創建。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_06132541.jpg

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寺院の創建
6世紀前半以降、大陸からの仏教が伝わると、各地の豪族によって多くの寺院が建立されました。
畿内に隣接する播磨地方では、古代の寺院跡がたくさん見つかっています。
加古川では、奈良時代前期の西条廃寺(西条山手)、奈良時代後期の石守廃寺(神野町)・野口廃寺(野口町)・中西廃寺(西神野町)・溝之口廃寺(加古川町)・皿池廃寺(志方町)などがあります。
奈良時代には、これら寺院の整然とした伽藍がみられたことでしょう。
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西条廃寺ほかの出土品。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_07133703.jpg
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_16015066.jpg

西条廃寺跡を探訪時、敷地入口に掲げられていた「わがまち加古川60選/西条廃寺」に「出土遺物の九輪・風鐸は復元されて加古川総合文化センターで展示されています」とあった。

展示の手前一列が出土した九輪片と風鐸片。
そして、復元の九輪を超アップで。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_07154793.jpg

塔の名称(三重塔立面図)。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_10095557.jpg


古代瓦に興味がある。
出土品、後列展示の古代瓦をじっくりと見分する。

上段/軒丸瓦 西条廃寺 奈良時代後期 7世紀
下段、左/軒平瓦 同上
下段、右/鬼瓦 同上
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_07203011.jpg

上段、西条廃寺の軒丸瓦をアップで。
右/単弁七葉蓮華文
(花弁の中は、単弁の特徴である子葉1枚ではなく、縦線2本が入っており、単弁の変形なのであろうか?)
央/素弁五葉蓮華文
左/素弁八葉蓮華文
多様な軒丸瓦が出土しているということは、何回も建て替えられた、或いは、何回も修理が施されたことを示している。
これらの瓦は、西条廃寺西隣の人塚古墳の周濠に造られた瓦窯で焼かれたものなのであろう。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_07204877.jpg

上段/軒丸瓦 石守廃寺 奈良時代後期 8世紀
下段、右/軒平瓦 同上
下段、左/鬼瓦 同上
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_07211000.jpg

上段、石守廃寺の軒丸瓦をアップで。
右/単弁十六葉蓮華文
左/蓮華文がない。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_07335918.jpg

西条廃寺伽藍配置図。
左上は鬼瓦の拓本。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_09564586.jpg

西条廃寺塔瓦積基壇。
現場で見学した基壇は、出土した瓦を積んで復元されていた。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_09574796.jpg
石守廃寺基壇。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_10010061.jpg

奈良・平安時代遺跡分布図。
多数の窯跡が図示されている。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_15322760.jpg

もう少し拡大して。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_15353699.jpg
図示された遺跡を書き出しておく。
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加古川右岸
(北)
・札馬古窯跡郡
・中谷古窯跡群
・蕪谷古窯跡群
・投松古窯跡群
・カワラケ谷古窯跡群
・西ノ池古窯跡群
・虎が谷古窯跡群
・中津倉古窯跡群
(西)
〇塩田遺跡
・魚橋古窯跡
〇神爪遺跡
〇中西廃寺
(東)
〇山角廃寺
・白沢古窯跡
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加古川左岸
(東から)
・野村古窯跡
・野新村古窯跡
〇西条廃寺
〇石守廃寺
〇溝之口遺跡
〇野口廃寺
〇古大内遺跡
〇賀古駅家推定地
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別格として。
鶴林寺。
何故、別格か、それはには幾つか理由がある。
先ず、古代寺院の中でも〇〇廃寺と称される古代寺院とは一線を画す、「西の法隆寺」とも称されている播磨地方有数の古寺であるから。
播磨で生まれ育った者にとっては、「鶴林寺」=聖徳太子となり、大いに有難みと親しみを感じる存在であるから。
鶴林寺の住職は、少年時代に少なからず縁のあった人物であるから。
更に申せば、関西の盟友にして、この日のナビを務めてくれている六々守さんは、毎日、鶴林寺の境内で行われるラジオ体操に通っているから。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_15563519.jpg

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鶴林寺
聖徳太子の創建と伝えられる鶴林寺には、奈良時代から室町時代に至るまでの多くの文化財が残っています。
左の写真の聖観音立像(あいたた観音)や、最近、あたしく壁画がみつかった太子堂を、そして、和様・禅宗様・大仏様の建築様式が折衷された本堂などは全国的に有名です。
平安時代の浄土教や、鎌倉時代に隆盛した太子信仰の名残りを示す優美な伽藍は、現在でも「刀田(とだ)の太子さん」として人々から親しまれています。
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鶴林寺聖観音立像(奈良時代)。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_15570394.jpg

鶴林寺太子堂(平安時代)。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(6)西条廃寺出土品』 kk-20_a0289546_15585563.jpg


# by ryujincho | 2019-05-12 23:31 | 播磨国・大和国古墳探訪2019/播磨の部 | Comments(0)
2019年 05月 12日

『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19

5月8日(水曜)、晴れ。
加古川市内の古墳探訪。
関西の盟友、六々守さんと共に。

北から順に古墳探訪。
古代寺院、西条廃寺跡も探訪。
この日の最後は、加古川市立総合文化センターの博物館見学。
先ず、弥生時代後期の墳墓のコーナーを見学。
続いて、古墳時代のコーナーへ。

先ず、行者塚古墳の出土品を中心に見学。
続いて、「古墳のまつり」のコーナーへ。
続いて、「古墳の築造」のコーナーへ。

順序としては、古墳の築造が先のはずだが、行者塚古墳をメインに見学のつもりであったので、行者塚古墳の出土品、そして、行者塚古墳の造り出しでの「まつり」を先に掲載した次第。

古墳の築造。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19_a0289546_09470881.jpg
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19_a0289546_12210047.jpg
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『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19_a0289546_12325354.jpg

説明。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19_a0289546_12450255.jpg

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1.計画
古墳は、被葬者の権力の大きさや特徴を示していると考えられています。
首長の墓は、まず、「場所、大きさ」や「形」などが検討され、墓を築くのに適した場所が選ばれます。
そして、木や草を伐採し、開けた地面に全体の設計図が描かれ、土盛りの工事の準備が進められました。
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『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19_a0289546_12451422.jpg

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2.土を盛る
周りに濠の部分をはじめ、周囲の地面が掘り下げられ、墳丘が盛り上げられていきます。
さらに盛り上げられた土が突き固められ、古墳の形が整えられていきます。
土を運ぶには、多くの人々の力が必要でした。
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『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19_a0289546_12452654.jpg

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3.石や埴輪で飾る
墳丘には丹念に葺石が施されます。
行者塚古墳では加古川の対岸で採れる竜山石(たつやまいし)が多く使われています。
数千本の円筒埴輪が生産され、三段に築かれた墳丘の各段の中央に据えられていきます。
家や武器を現した形象埴輪の製作も行われました。
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『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19_a0289546_12454626.jpg

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4.古墳を飾る
いよいよ首長の遺骸を葬る儀式が撮り行われます。
しかし、古墳の祭りの様子は、実はほとんどわかっていないのです。
また、棺を納める施設の形態、棺の形、棺の材質、副葬品の内容も被葬者の権力の大きさや特徴を示す重要なものです。
行者塚古墳では墳頂部だけでなく、四つある造り出しでも祭りが行われたと考えられます。
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『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19_a0289546_12460362.jpg

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5.1980年代の行者塚古墳
首長の墓は、1600年近くの間に表面が風化したり、草木や土で覆われるようになりました。
そして、この丘が古墳であるということだけが今日まで語り継がれてきました。
近年では、開墾や宅地開発のため、周囲の様子も大きく変わってきました。
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『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19_a0289546_12462065.jpg

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6.発掘の様子
史跡整備の準備のため、1995年の7月から翌年4月まで二次にわたる発掘調査が行われました。
古墳の規模、埴輪列や葺石の様子、埋葬施設の状態、西造り出しの全容の確認などが行われ、5世紀の古墳を知る上で大変貴重な成果を得ることができました。
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石室(レプリカ)。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(5)古墳の築造』 kk-19_a0289546_12513356.jpg
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つづいて、時代は一気に飛んで、古代寺院のコーナーへ。

フォト:2019年5月8日

(つづく)


# by ryujincho | 2019-05-12 23:30 | 播磨国・大和国古墳探訪2019/播磨の部 | Comments(0)
2019年 05月 12日

『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(4)古墳のまつり』 kk-18

5月8日(水曜)、晴れ。
加古川市内の古墳探訪。
関西の盟友、六々守さんと共に。

北から順に古墳探訪。古代寺院、西条廃寺跡も探訪。
この日の最後は、加古川市立総合文化センターの博物館見学。
先ず、弥生時代後期の墳墓のコーナーを見学。

続いて、古墳時代のコーナーへ。
先ず、行者塚古墳の出土品を中心に見学。
続いて、「古墳のまつり」のコーナーへ。

古墳のまつり。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(4)古墳のまつり』 kk-18_a0289546_22020947.jpg

『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(4)古墳のまつり』 kk-18_a0289546_22083993.jpg

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古墳のまつり
墳頂部など古墳の高く盛られたところは、土が流れ落ちたり、削られたりして、遺構の残りがよくありません。
そのため、肝心な古墳のまつりの場面は、あまり分かっていません。
行者塚古墳の西造り出しの調査では、方形埴輪列の中に祭殿と思われる家形埴輪埴輪が並べられ、その前に土で作った魚や木の実などの供物が置かれた状態が検出されました。
西造り出しの遺構と遺物は、古墳のまつりを知る重要な手がかりです。
西造り出しには埋葬施設がありませんが、埋葬施設のある北東造り出しには武具を中心とした埴輪が置かれるなど、まつりの様子も様々あったようです。
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西造り出し実測図。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(4)古墳のまつり』 kk-18_a0289546_22121282.jpg

行者塚古墳の現場で、西造り出し(復元)をこの目で見たので、この実測図を眺めながら西造り出しの設えがよく理解出来る。
現場の様子を綴った第〇話から一節だけここに転載しておこう。
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説明文に「東側の埴輪列には食い違い部分があり、入り口のような状態になっていました」とある。
<div>その個所を眺めてみる。</div>
<div>確かに、L字型に埴輪が並べられており、入り口のような状態であることが見て取れる。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(4)古墳のまつり』 kk-18_a0289546_18203367.jpg
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映像。
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(4)古墳のまつり』 kk-18_a0289546_22201748.jpg
『播磨国・大和国古墳探訪/加古川の巻/総合文化センター(4)古墳のまつり』 kk-18_a0289546_22242036.jpg

つづいて、「古墳の築造」のコーナーへ。


フォト:2019年5月8日

(つづく)


# by ryujincho | 2019-05-12 23:29 | 播磨国・大和国古墳探訪2019/播磨の部 | Comments(0)