「ほっ」と。キャンペーン
2017年 02月 14日

『ドラポタ佐久平支部便り/滑る/2017.2.14 』

2月14日、10:44付けで、大給守殿より「滑る」と題し、佐久平支部便りが届いた。
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方々
滑る遊びはいろいろあります。
八千穂レイクでは、凍った湖面を四輪で走り、滑りを楽しんでいます。
大給
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写真の添付がないなと思ったら、直ぐに、「滑る2」と題し、2枚の写真が送られて来た。
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1枚目の写真を眺める。
♪雪の白樺並木 夕日が映える 走れトロイカ ほがらかに 鈴の音高く...♪
昔、ダークダックスがこんな歌を歌っていたなあ...。

一方、2枚目は、そういう風景とは真逆の、凍った湖面を四輪で走り、滑る米国的(???)な遊びの写真。
この遊びに対し、武衛さんが返信。
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大給守殿
そんな暴走族まがいのことをやっているんですか!
野次馬的感想ですが。
武衛
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伊豆守殿からは、<画家>らしい返信。
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大給守殿
白樺林、素晴らしい景色ですね。
伊豆
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小生からは次の通り返信。
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大給守殿
第一信、第二信、拝受。
第一信を読んで、ソルトレイクシティを舞台にしたオートバイ競争の映画「世界最速の男」を思い出し、塩湖=氷湖のイメージでありました。
第二信添付の写真を見ると、それとはちょっと違うような感じやね。
電脳に転送して大画面でもう一度、爆走写真を楽しんでみます。
テーガヌーマ湖上ならぬ湖畔をバクソー中の上総
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15:58付けで、大給守殿より「八千穂レイク」の追加写真と共にメールが到来。
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方々
八千穂高原は白樺林がきれいな場所があります。 
雪の上を歩くにはスノーシューで快適に歩けそうです。
池は凍り、車で雪上走行、スリップ体験をするには絶好の場所となっており、貸切で数十台の車が走っていました。
軽トラで乗り込んだところ、進入禁止と言われてしまいました。
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大給
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「軽トラックで乗り込んだところ」という件(くだり)に笑ってしまった。
大給守殿は四駆も持っているはずなのに...。

「八千穂レイク」で検索してみた。
先ず、釣りの案内。
これは、氷結していない湖面、そして、緑の森の写真と共に。
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浅間山・秩父山系の山並みが見えるロケーションの中で釣りはいかがですか。
湖面面積約37,000㎡の中にトラウト、岩魚が数多く潜んでいます。
美しい自然の恵みを感じながら、ゆっくりと楽しい時間をお過ごしください。
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次に、「八千穂レイク評定2017」の案内。
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ご来場にあたり、公道を自走して来られる車両につきましては、不法改造など法的に問題の生じる車両での来場は固くお断りさせていただきます。
また、近隣の道路では 特に速度違反、はみ出し走行などは厳禁とします。
積載車などで運搬してこられた公道走行が不可の車両に於いても、ノーマルレベルの排気音を維持できない車両、触媒装置の無い車両、液漏れのある車両につきましては、当日であっても 必ず走行をお断り させていただきます。
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軽トラックは駄目とは書かれていないが、軽トラックで来る人はいないという前提での注意書きかも。
氷上で走り回られては、トラウトや岩魚はおちおち水底で冬を越せないかもしねないなあと思ったりもして。

フォト:2017年2月14日、大給守殿提供
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# by ryujincho | 2017-02-14 23:51 | ドラポタ佐久平支部便り | Comments(0)
2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/牛久市(3)』 ki-10

2月12日(日曜)。
祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ。

カミヤシャトーを見学し、JR牛久駅東口へ。
東口には<反省会>をする適当な店がない。
再び、西口へ行き、駅舎下の店に入る。

先ほど、この店の前を通ったときは気づかなかったが、店先で<いいもの>が目に入った。
「☆稀勢の里関 優勝 おめでとう!!」。
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店内でも<いいもの>が目に入った。

<いいもの>/その一。
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<いいもの>/そのニ。
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白鵬の手形とサインの下には印がふたつ。
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木村庄之助の署名の下にも印がふたつ。稀勢の里の手形とサインの下の印は、ふたつではなく、ひとつ。
白鵬の印は「第六十九代横綱」と「白鵬翔之印」と彫られている。
稀勢の里の印は「稀勢の里寛之印」と彫られている。
これからは、この名の印の上に「第七十二代横綱之印」が押されることになるのだろう。
いつまでもモンゴル勢に名をなさしめる必要はない。
がんばれ、横綱稀勢の里!

JR牛久駅コンコース。
ここでも<いいもの>が目に入った。

<いいもの>/その一。
「祝 優勝 大関 稀勢の里関」。
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<いいもの>/そのニ。
「祝 第72代横綱昇進 おめでとう 稀勢の里関」。
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顔抜き看板。
「牛久へようこそ」。
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顔抜き看板は、JR社員と片手にワイングラスの河童、シャトーカミヤに牛久大仏。
いずれ、横綱 稀勢の里の顔抜き看板も新設されることになろうと期待。

こうして、取手市藤代町、龍ヶ崎市、牛久市をめぐる「祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ」を終えた。

出身地は牛久市だが、「龍ヶ崎育ち」を心の拠り所として、応援している龍ヶ崎市に軍配を上げたい上総であった。

がんばれ、稀勢の里先輩!


フォト:2017年2月12日

(完)
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# by ryujincho | 2017-02-13 23:10 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)
2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/牛久市(2)』 ki-9

2月12日(日曜)。
祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ。

小川芋銭ゆかりの地を訪ねたのち、旧水戸街道/牛久宿、そして、牛久駅西口で、稀勢の里優勝横綱昇進記念の取材が叶った。

JR常磐線の踏切を渡り、駅の東側へ。

カミヤシャトー。
本館。
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神谷傳兵衛の名を冠した"CHATEAU D.KAMIYA"。
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トンボのレリーフ。
本館の潜り抜けの右壁にあるこのトンボのレリーフは、小生のお気に入り
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アップで。
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潜り抜けの左側の、ランプと扉。
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潜り抜けから、旧醗酵場である神谷傳兵衛記念館を臨む。
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旧醗酵場である神谷傳兵衛記念館から本館を臨む。
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旧醗酵場である神谷傳兵衛記念館の地上階。
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旧醗酵場である神谷傳兵衛記念館の地下。
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「合同酒精」のエンブレム。
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初めてここを訪れたのは、1980年代の前半だったと記憶。
当時は合同酒精の「牛久シャトー」と呼ばれていた。
その後、2000年代前半に、合同酒精株式会社をオエノンホールディングス株式会社に社名変更。
新会社の社名オエノンは、ギリシャ神話のデュオニソスによって大地からワインを得る力を与えられた女神オエノに由来するという。

東日本大震災で被災し、長らく復旧工事中であった。
直近で、ここを訪ねたのは、2013年の秋であった。
復旧工事の真っ最中で、本館および構内は工事用のカバーが囲いで覆われ、何も見えなかった。
2015年に秋に牛久を訪れたが、シャトーカミヤのホームページではまだ工事中との掲示があったので、訪問は見送った。
2014年3月に旧醗酵場や旧貯蔵庫の復旧工事は完了。
そして、咋2016年7月、本館の復旧工事が完了し、一般公開となった。
今回、復旧した姿を見て、稀勢の里の初優勝、横綱昇進と同じように、いや、それ以上に、祝!と言いたい。

構内のスーベニール・ショップに立ち寄った。
<いいこと>を知った。
2月18日、牛久市内で、稀勢の里の優勝横綱昇進祝賀パレードが行わわれるという。
パレードのコースは、JR牛久駅から牛久市役所までで、シャトーカミヤの近くを通るという。
そして、祝賀会はシャトーカミヤで開催されるという。

結果論ではあるが、シャトーカミヤ訪問は、稀勢の里の優勝横綱昇進の<取材>に繋がったということである。
うれしい!

フォト:2017年2月12日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-13 23:09 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)
2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/牛久市(1)』 ki-8

2月12日(日曜)。
祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ。

牛久沼の畔で鰻を食したのち、国道6号線(水戸街道)を北上し、牛久宿の南端入り口に至る。

武衛さんに、国道6号線(水戸街道)を挟んで、牛久宿南端入り口の反対側のJR常磐線の踏切を指差しながら、「踏切を渡り、細道を上って行くと、若柴宿からの道に繋がり、それが旧水戸街道です」と武衛さんに説明し、牛久宿に入る。

旧水戸街道/牛久宿の通りを走りながら立ち寄った先の詳細は、一昨年10月に走ったときのことを綴ったマイ・ブログ、「旧水戸街道ポタリング/牛久宿の巻」をご覧いただくとして、本ブログではハイライト的なことや特記事項を綴っておきたい。
「旧水戸街道ポアリング/牛久宿(二)」
「旧水戸街道ポタリング/牛久宿(三)」
「旧水戸街道ポタリング/牛久宿(四)」
「旧水戸街道ポタリング/牛久宿(五)」

一昨年10月のブログにも、河童をいろいろと掲載したが、大好きな河童なので、本ブログにも掲載しておきたい。

牛久アヤメ園。
アヤメ園を眺めながら、「前方の森から向こうは台地。このあと、訪ねる小川芋銭ゆかりの河童の碑と魚雲亭はあの辺り」と指差す。
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牛久沼に流れ込む稲荷川河口、三日月橋の袂から牛久沼を眺める大河童像。
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手に持っているものは何だろう?松明?小川芋銭画伯が使っていた筆?と思いながら、いつも眺める小河童像。
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逆光を受けて、シルエットの小河童像。
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里山の麓の細道を少し走り、坂を上り、小川芋銭ゆかりの河童碑と魚雲亭へと向かう。

河童の碑。
これまで碑に刻まれた河童の姿をメインに写真を撮ることが多かった河童の碑、今回は、背後のスダジイの大木と共に、の構図で少し煽り気味に撮ってみた
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この河童の姿は小川芋銭が描いた河童をもとに彫られているとずっと思い込んでいたが、今回、牛久市観光協会のホームページを参照したところ、そうではなかった。
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河童の碑は雲魚亭から程近い場所に建てられています。
芋銭の生前の数々の偉業を讃えるために、昭和26年に、芋銭の友人、池田龍一氏が中心となって建立されました。
碑の正面やや左側には河童の絵が描かれています。
これは、現二科展会員、中村直人氏が監修し、八柳恭次氏が描いたものです。
正面右側には『誰識古人画龍心(だれかしるこじんがりゅうしん)』の文字が刻まれています。
これは、何故、河童を描くのかとの問いかけに芋銭が答えた言葉です。
(出典:牛久市観光協会ホームページ)
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この河童の碑を幾度も訪ねているが、改めてベンキョーした。
思い込みがいけないとハンセー。

文中にある中村直人と八柳恭次について調べてみた。
何故なら、以前、牛久アヤメ園の「大河童」の作者、田畑 功を調べたところ、石垣島の石垣港離島ターミナルに立つ「具志堅用高像」の作者であることが分かり、であれば、中村直人、八柳恭次のことについて調べれば、小生の知っている作品の作者であるかもしれないと思ったからだ。

中村直人。
1905年(明治38年)、長野県上田市生まれ。
1926年(大正15年)、日本美術院に木彫「清韻」初出品初入選。
以後連続入選、日本画の横山大観、彫刻家の平櫛田中、洋画家の藤田嗣治などから若手木彫家として高い評価を受け、期待をされる。
1952年(昭和27年)、藤田嗣治の待つパリに行き、絵画に転身する。
1964年(昭和39年)、13年ぶりに帰国、二科会会員として絵画を出品、以後、日本最初の彫刻家・画家として活躍する。
1981年(昭和56年)、逝去。享年76歳 。     

八柳恭次。
出身地別彫刻家一覧なるサイトに「秋田県出身の彫刻家」として八柳恭次の名がある。
鋸山 日本寺のホームページに「鋸山の中腹に彫刻された大仏『薬師瑠璃光如来坐像』は、当初は台座共9丈2尺の磨崖仏像でしたが、江戸末期になって、自然の風触による著しい崩壊があり、頭部の半分が崩れ落ち、膝の部分も埋没した状態になってしまいました。昭和に入り彫刻家八柳恭次氏の指導のもとに昭和44年、4ヵ年年の歳月を費やし大仏の復元が完成いたしました」とあり、八柳恭次の名がある。
某氏のブログに「靖国神社の狛犬/この狛犬は大東亜戦争中、陸軍省が彫刻家、後藤直に製作を依頼。後藤氏は京都にある籠神社の狛犬を元に石膏の原型を完成させ、真鶴の小松石を使い刻みが始まりましが、諸事情により未完のまま放置。昭和39年清瀬一郎が叙勲した際、叙勲記念として八柳恭次(後藤直氏の直弟子)が未完の狛犬を完成させ奉納した」とあり、八柳恭次の名がある。
鋸山の磨崖仏、靖国神社の狛犬、何れも馴染みのある彫刻である。
次回、機会あれば、八柳恭次の名を思い出しながら、眺めてみたい。

雲魚亭。
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雲魚亭
昭和12年の9月に小川芋銭の旧宅の敷地内に芋銭夫人と長男が新築した画室兼居宅。
芋銭は同年9月末にここに移り住み、古希記念新作展などの準備に当るが、翌昭和13年1月末に脳溢血で倒れ、12月17日に永眠するまでは、療養のための居宅となってしまいました。
現在は、小川芋銭記念館として一般に公開されており、土日祝日は室内も公開しています。
(出典:牛久市観光協会ホームページ)
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ここを訪れるときは土曜日が多いのだが、開館時間を過ぎた夕方4時以降に辿り着くことが多く、建物の中に入ったことはなかった。
今回は、3時に到着したので、中に入ってみた。
芋銭の作品や手紙などが展示されている(館内は撮影禁止)。
いつも思うことだが、芋銭の描く河童は独特の姿をしている。

雲魚亭から眺めた夕日と富士の風景写真を何処かでみたことがある。
雲魚亭の<留守居役さん>にその場所について尋ねたところ、外の庭からとのことでその場所に案内してくれた。
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この場所は以前から知っており、写真を撮ったことがあった。
以前のブログを読み返してみたところ、「木立の間から牛久沼を垣間見ながら、カッパはいないかと目を凝らす。」とのキャプションが記されており、そのときは夕日と富士のことは全く知らず、夕日と富士山のスポットであることはのちに知ったことであったのだ。

時刻は夕方3時過ぎ。
太陽は西に傾いてはいるが、夕日にはまだ早い。
夕日を眺めてみたいが、次の行程もあるので、出発する。

芋銭の墓所であり、樹齢500年以上といわれる榧(かや)の大木がある得月院に立ち寄り、再び、旧水戸街道、牛久宿の通りへ出て、北進し、池波正太郎の『鬼平犯科帳/雲竜剣』に登場する正源寺に立ち寄る。

牛久市内の観光も大事だが、稀勢の里の初優勝・横綱昇進関連の<取材>もせねばならない。
牛久市は稀勢の里の出身地でありながら、過去、稀勢の里ゆかりのものを見たのは国道6号線(水戸街道)の駅前交差点角にある店先に立てられた幟旗1本だけであったなあと思いながら、走っていたところ、<いいもの>を連続して見つけた!

<いいもの>その一/八百屋の店先に立てられた幟旗「稀勢の里 応援団 牛久市観光協会」。
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<いいもの>その二/酒屋の店先に立てられた幟旗「稀勢の里 応援団 牛久市観光協会」と窓の貼り紙「第七十二代横綱 祝 稀勢の里 茨城県牛久市出身 平成二十九年一月二十五日」。
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旧水戸街道、牛久宿の北端に至り、国道6号線(水戸街道)と合流、JR牛久駅西口に至る。

駅前のショッピングセンターの外壁に掲げられた、<いいもの>を見つけた!
「祝 新横綱昇進 稀勢の里関」。
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後刻、この西口でもっと<いいもの>を見つけることになるのだが、このときはそんなことも知らず、踏切を渡り、東側の「シャトーカミヤ」へと向かう。

フォト:2017年2月12日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-13 23:08 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)
2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/龍ヶ崎市(5)』 ki-7

2月12日(日曜)。
祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ。

稀勢の里の母校、龍ヶ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校を訪ね、ショッピングセンター・サプラで開催中の「稀勢の里資料室」特別展示場で数々の資料と写真を見るなど龍ヶ崎ニュータウンを楽しんだあと、県道243号線を西進し、国道6号線(水戸街道)沿い、牛久沼の畔の「うなぎ街道」へと向かう。

県道243号線沿い。
龍ヶ崎市のモニュメント。
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JR常磐線の跨線橋、龍ヶ崎大橋で牛久沼を背景に今日の jitensha 。
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国道6号線(水戸街道)沿いの牛久沼の畔には数軒の鰻屋があり、「うなぎ街道」と呼ばれている。

今回のポタリングは、、稀勢の里優勝横綱昇進記念鰻ポタのほかに、武衛さんの「一昨年亡くなった従兄が、昔、牛久沼畔の鰻屋でご馳走してくれました。店の名前は忘れましたが、再び牛久の鰻を味わいたく思っています」との希望も加えたポタである。

武衛さんは店の名は分からないとのこと。
「元祖 鶴舞家」に入ることにする。
この店は「うなぎ街道」の中で、ここを通る都度、いつも目を惹く、「元祖 鶴舞家」と大書された看板が立っており、入る店を決めていなければ、この大きな看板に引き寄せられるのである。
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うな重(上)を注文する。
従兄さんを偲んで、そして、稀勢の里優勝横綱昇進を祝して、ビールで乾杯としたいところであるが、ポタリングの途中であり、ノンアルコールのキリン・フリーを注文する。
「では、乾杯」。
「ノンアルコールのビールは、久しぶり」。
「ノンアルコール・ビールは妙な甘さがしますよね」。
「そう、りんごジュースが発酵したような、という味やね。初めて、ノンアルコール・ビールを飲んだのは、今は去ること、40年前、サウジアラビアに長期出張したとき。スイス製やったね。そのときに、りんごジュースが腐ったような味であったのがずっと頭に残ってます」。
といいながらも、ノンアルコール・ビールを飲み干す。
飲んでいると、段々慣れてくるのか、ビールの味になって来るから不思議だ。

うな重、肝吸い、香の物が運ばれて来た。
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グルメ・フォトは撮らない主義だが、この日は特別。
慌てて撮ったので、仲居さんが置いたままの位置で、肝吸いが左ではなく、右になっている。
やっぱり、グルメ・フォトは苦手だ。

鰻を頬張る。
旨い!
稀勢の里が優勝したら牛久で鰻を、と思い続けて来たことがようやく叶った一瞬であった。
そして、武衛さんは従兄さんを偲ぶ供養の鰻を味わうのであった。

カモが群れている牛久沼を眺めながら、うな重を食す。
「牛久沼って、龍ヶ崎市なんですね」。
「そう、その通り。ずっと、牛久市だと思っていたのですが、数年前、ジャパン・バード・フェスティバルで龍ヶ崎市の野鳥の会が出展していて、『牛久沼の野鳥観察は我々、龍ヶ崎の野鳥の会がやっているんです。牛久沼は龍ヶ崎市の管轄なんです』との話を聞き、初めて知りました。名前は牛久沼だけど、牛久市じゃなくって、龍ヶ崎市なんだよと何だか自慢げに聞こえる話を言いっ振りでした。地図をみると、確かに、牛久沼の畔、そして、沼に流れ込む川の河口付近は龍ヶ崎市を示す一点破線が引かれています」。

仲居さんに「いつも表を通るとき、何が『元祖』なのかなあと思い続けていました」と元祖の由来について尋ねたところ、「うな丼の元祖ということになっているんです」と。
答えは簡単であった。

若柴宿から県道243号線に出て、龍ヶ崎ニュータウン方面へ東進し、その後、西進し、国道6号線(水戸街道)に出たので、若柴宿から牛久宿を結ぶ旧水戸街道はカットとし、「鶴舞家」から国道6号線(水戸街道)を北上し、牛久宿へと向かう。

国道6号線(水戸街道)沿いの、龍ヶ崎市のモニュメント。
牛久沼をバックに。
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少し走ると、左手に鰻屋「山水閣」があらわれた。
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大きなガラス窓に、いいものを見つけた。
「祝 稀勢の里 横綱昇進」。
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しばらく走り、牛久宿の南端入り口に至る。

フォト:2017年2月12日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-13 23:07 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)
2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/龍ヶ崎市(4)』 ki-6

2月12日(日曜)。
祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ。

稀勢の里の母校、龍ヶ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校を訪ねたあと、長山中学校の先生に教えて貰ったショッピングセンター・サプラで開催中の「稀勢の里資料室」特別展示場へと向かう。

龍ヶ崎ショッピングセンター・サプラ「稀勢の里資料室」特別展示場。
先ず、龍ヶ崎市立長山中学校から提供された資料をゆっくりと見た。
それらの資料については、前話で縷々綴った。
その続きとして、ここでは、毎日新聞とスポニチ提供の写真資料を中心に綴ることとしたい。

パネル「祝 優勝 横綱昇進 稀勢の里関 毎日新聞」。
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パネル上段、右から2枚目。
最も大事な写真。
この場面は、何度、見ても胸がスカッ!とする。
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パネル上段、右から3枚目。
初場所14日目、初優勝が決まったときの様子を伝える1月22日(日曜)付けスポニチ。
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横綱昇進決定とその後の様子を伝えるパネル。
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「田子ノ浦親方夫妻に見守られる中、祝いのタイを持ち上げる稀勢の里(中央)=東京都千代田区の帝国ホテルで2017年1月25日 毎日新聞」。
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「第72代横綱に昇進し、大観衆の前で奉納土俵入りを披露する稀勢の里。太刀持ち 高安、露払い 松鳳山=1月27日 毎日新聞」。
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稀勢の里の横綱土俵入りは雲竜型。
明治神宮奉納土俵入りで締めた化粧回しは、土俵の鬼、初代若乃花が約60年前に締めていたものを着用した。
土俵の鬼、若乃花が活躍した当時は、まだ、家にはテレビがなく、ラジオで若乃花を応援しながら、大相撲を楽しんでいたことを思い出す。
稀勢、頑張れ!土俵の鬼、若乃花がついているから...。

1月26日付毎日新聞/茨城版。
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写真上段のキャプションには「龍ヶ崎市庁舎には、早速、『祝 横綱昇進 稀勢の里』の横断幕が掲げられ、職員が万歳を三唱した」とある。

「サプラ」2階から特別展示場を俯瞰。
幟旗「贈 稀勢の里関江 茨城郷土後援会」。
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この幟旗を見て、初場所開催中の1月11日に国技館前で撮った幟旗の写真を引っ張り出して来て、見比べてみた。
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同じデザインの幟旗であった。
稀勢の里の幟旗に、白鵬、日馬富士、鶴竜、豪栄道、照ノ富士らの幟旗とは異なる点を見つけた。
他の横綱、大関の幟旗の寄贈者は個人の名となっているが、稀勢の里の幟旗は後援会の名となっている。
稀勢の里のタニマチは、個人よりもタニマチの集まりである後援会が主体となっているのかもしれない。

展示会場に置かれていたリーフレット。
「自由にお取りください」とのことだったので、貰った。
(表面)
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長山中学校で見たデザインとよく似ている。
だが、文言が異なる。
長山中学校で見たものは「祝 優勝 稀勢の里(龍ヶ崎市立松葉小学校・長山中学卒業) おめでとうございます 龍ヶ崎市」となっており、優勝を祝ってのものだった。
こちらは「祝 第72代横綱 稀勢の里(龍ヶ崎市立松葉小学校・長山中学卒業) おめでとうございます 龍ヶ崎市」となっており、初優勝後、横綱昇進を祝ってのものである。
稀勢の里の姿をシルエットであらわしているのは、どちらも同じだが、中学校で見たものは回しを締めたもの、こちらは化粧回しに綱を締めてのものである。

(裏面)
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横綱 稀勢の里 プロフィール

基本情報
所属部屋 田子ノ浦部屋
本名    萩原 寛
四股名暦 萩原→稀勢の里
番付    横綱
生年月日 昭和61年7月3日
身長 187.0cm
体重 175.0kg
得意技 左四つ・寄り・突き

戦歴・受賞暦

優勝
幕内優勝 1回
重量優勝 0回
幕下優勝 1回
三段目優勝 0回
序二段優勝 0回
序の口優勝 0回

殊勲賞 5回
敢闘賞 3回
技能賞 1回

金 星 3回

生涯戦歴 764勝460敗(89場所)
幕内戦歴 670勝417敗(73場所)

番付推移
初土俵  平成14年3月場所
新十両  平成16年5月場所
新入幕  平成16年11月場所
新三役  平成18年7月場所
大関昇進 平成24年1月場所
横綱昇進 平成29年1月場所

年表
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年表の書き下しは省略するが、第5話で「報道によれば、小学校・中学時代は野球もよくしたようで、高校野球の茨城県の強豪校、常総学院からスカウトが来たが、中学を卒業したら相撲界に進むとの固い決意の下、断ったという」と野球に関わることに触れたので、年表に「小学生時代 少年野球チーム 龍ヶ崎ハリケーンズに入り、野球を始める」と記されていることを補足としてここに書き下しておきたい。

さあ、次は牛久沼の畔で鰻だ。
県道243号線を西進し、牛久沼方面へと向かう。

フォト:2017年2月12日
フォト#10:2017年1月11日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-13 23:06 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)
2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/龍ヶ崎市(3)』 ki-5

2月12日(日曜)。
祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ。

稀勢の里の母校、龍ヶ崎市立松葉小学校と龍ヶ崎市立長山中学校を訪ねたあと、中学校の先生に教えて貰ったショッピングセンター・サプラで開催しているという「稀勢の里資料室」特別展示場へと向かう。

先生の話では、開催期間は2月6日までだったが、2月20日まで延長されたとのこと。
本来なら、我らが中学校を訪ねたのは日曜日で中学校の展示室の見学は出来なかったし、「サプラ」での特別展示期間も終わっていたことになる。
ラッキー!

龍ヶ崎ニュータウンの中を走り、「サプラ」に到着。
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「出展!母校・龍ヶ崎市立長山中学校所蔵 稀勢の里資料室」。
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出展!母校・龍ヶ崎市立長山中学校所蔵 稀勢の里資料室

開催によせて
2017年一月場所で見事優勝を飾り、1月25日の協会臨時理事会で横綱への昇進が決定した「龍ヶ崎育ち」の稀勢の里関。
この度、母校である龍ヶ崎市立長山中学校の「稀勢の里資料室」より写真や物品の一部をお借りして、「出張資料室」として展示させていただくこととなりました。
稀勢の里関のこれまでの歩みを垣間見ることのできる少年時代の写真をはじめ、貴重な品々を2月6日までの期間限定で展示しております(※2月20日まで期間延長)。
また、この度の横綱昇進を受け、本市としましても、稀勢の里関に対し、龍ヶ崎市初となる市民栄誉賞の授与を決定いたしました。
茨城出身横綱の誕生を市を挙げてお祝いするとともに、ますますの活躍を市民の皆さんと応援していくことができましたら幸いです。

【稀勢の里資料室について】
稀勢の里関を応援する場や今後の活躍を記す場として、龍ヶ崎市立長山中学校の開校30周年記念事業の一環で平成24年9月に同施設内に設置されたものです。
今回展示されている物品以外にも、稀勢の里関にゆかりある品々が多く展示されています。
お問い合わせ 龍ヶ崎市立長山中学校
TEL:0297-66-1766(平日午前9:00~午後4:00
※休日の見学は実施しておりません。来校の際には職員室にお声をかけてください。

稀勢の里関 プロフィール
本名:萩原 寛。
昭和61年(1986年)7月3日、兵庫県芦屋市生まれ。
2歳時に龍ヶ崎市に転入。
龍ヶ崎市立松葉小学校、同市立永山中学校卒。
(中学2年時に牛久市へ転出)
平成14年(2002年)2月、鳴門俊英親方(元横綱隆の里)の鳴門部屋(千葉県松戸市)へ入門。
同年春場所初土俵。
平成24年(2012年)1月場所で大関昇進。
現在、田子ノ浦部屋に所属。
平成29年(2017年)1月場所で悲願の初優勝。

稀勢の里関の横綱昇進をお祝いして
中山一生 龍ヶ崎市長コメント
稀勢の里関の横綱を破っての優勝、並びに平成28年年間最多勝に輝いての横綱昇進は、これまで応援を続けてきた母校の後輩達をはじめ龍ヶ崎市民にとって悲願であり、わがまちにとりまして大きな誇りです。
市民の明るい希望や活力を与えるとともに、市の名声を高めた稀勢の里関の功績を讃え、龍ヶ崎市第一号となる龍ヶ崎市市民栄誉賞を第72代横綱稀勢の里関に贈ることができることは私にとりましても大きな喜びです。
これからのすばらしい活躍を期待しています。

【本展示に関するお問い合わせ】
龍ヶ崎市 総合政策部 企画課
TEL:0297-64-1111(代表)
(平日8時30分~17時15分)
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「龍ヶ崎育ち」という言葉が使われている。
いい言葉だ。
本場所のアナウンスでは「牛久市出身」と紹介されるが、そのあとに「龍ヶ崎市育ち」と付け加えて欲しいくらいだ。
龍ヶ崎市民はそんなことを声高にいうこともなく、奥ゆかしさを感じる。

稀勢の里の雄姿。
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展示物は、長山中学校提供の写真と資料、毎日新聞・スポニチ提供の写真となっている。

先ず、長山中学校提供の資料から。
幟旗。
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「頑張れ!稀勢の里先輩 龍ヶ崎市立長山中学校」の文字と共に染め抜かれた稀勢の里の姿は浮世絵の力士のようで、なかなかよい。

体操着に押された手形。
関取になった後の手形(後段に掲載)と比べると、中学生のときはまだ手指が細かったように見える。
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右上/関取になった後、母校の校庭でキャッチボールの図。
額の下に「寄贈 荻原 寛 様」とある。

報道によれば、小学校・中学時代は野球もよくしたようで、高校野球の茨城県の強豪校、常総学院からスカウトが来たが、中学を卒業したら相撲界に進むとの固い決意の下、断ったという。

先ほど、龍ヶ崎市立長山中学校を訪ねた際に撮った「校庭とバックネット」をここに掲載しておこう。
校庭に、荻原少年の姿が見える(心眼で)。
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石膏立体手形。
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直筆サイン「萩原」。
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直筆サイン「萩原」
平成16年11月に、四股名を「萩原」から「稀勢の里」に変更したが、変更前の「萩原」時代の本人直筆サインです。
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直筆サイン「稀勢の里」。
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直筆サイン「稀勢の里」
平成16年11月に、四股名を「萩原」から「稀勢の里」に変更したが、変更後の「稀勢の里」になってからの本人直筆サイン入り手形です。
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番付表。
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番付表
稀勢の里が大関時代の番付表です。
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番付表の中央上段に「平成二十五年一月十三日/十五日間 於 国技館 大相撲挙行仕候」とある。
平成25年初場所の番付表である。
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番付表の右の余白に「謹賀新年 稀勢の里 寛」と青い印が押されている。
稀勢の里が後援会の人たちに配った番付表なのであろう。

パネル 「祝 横綱昇進 龍ヶ崎育ち 松葉小・長山中学校 稀勢の里」。
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右上をアップで。
初優勝、横綱精進決定時に幾度も報道で紹介された<名言>。
「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます。 萩原」。
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中央上段をアップで。
これも、初優勝、横綱精進決定時の報道で紹介された<挿絵付き作文>。
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最後の学校生活(上ばきグリッパー) 
萩原 寛
この中学校生活が俺の最後の学校生活となる。
俺は今、中学校というのにピリオドをうち社会人としての第一歩を踏み出そうとしている。
そして最後となる学校生活は忘れられない思い出がたくさんある。
その中でも俺の心にのこっていること、それは上ばきだ。
(中略。全文掲載したいところではありますが)
そして、この上ばきとも別れをしなくてはならない。
俺の今かいているペンもそしてクラスのみんなも、中学校とも、、、、、、。
しかし俺は自分のきめた道に旅立つ。
ありがとうございました。
あえてさようならとはいいません。
そして今、俺の最後の学校生活が終わった。
(挿絵:空になった土鍋に向かって、両手を合わせ、「ごっつあんですっ」という、大銀杏を結った関取の図)
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長山中学校提供の写真や資料を見ながら、稀勢の里の人柄、中学時代の将来への思いと決意、そして、萩原少年を取り巻く学校関係者の愛情が見てとれる。

次は、毎日新聞とスポニチ提供の展示を続編で。

フォト:2017年2月12日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-13 23:05 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)
2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/龍ヶ崎市(2)』 ki-4

2月12日(日曜)。
祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ。

旧水戸街道/若柴宿をめぐった後、県道243号線を右折、東進し、龍ヶ崎ニュータウンにある、稀勢の里が通っていた小学校と中学校へと向かう。

龍ヶ崎市立松葉小学校。
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龍ヶ崎市立長山中学校。
校庭の金網に横断幕。
これを眺めながら正門へ。
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正門。
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正門にインターフォンは見つからない。
正門の扉は開いている。
<無断>ではあるが、構内へ入れて貰う。
前庭に建つ校訓。
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「この校訓は心技体、いや、心智体だね」。
「稀勢の里の少年時代が目に浮かぶような校訓だね。特に三つ目が」。

校舎入り口へと進む。
校舎に張られた横断幕。
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表の金網に張られていた横断幕は「祝 優勝 横綱昇進 稀勢の里 龍ヶ崎市」となっており、小学校に張られていたものと同じ龍ヶ崎市が作成したものであったが、こちらは「祝 優勝おめでとう 先輩 稀勢の里関 龍ヶ崎市立長山中学校」となてTおり、生徒たちの名で作られたものである。
「稀勢の里関」の頭に添えられた「先輩」の文字が泣かせる。

校舎の窓にも生徒たちの祝福の言葉が。
こちらは「がんばれ 横綱 稀勢の里先輩」。
より後輩らしい応援の言葉。
これも泣かせる。
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ドアに貼られた祝いのポスター。
「祝 優勝 稀勢の里(龍ヶ崎市立松葉小学校・長山中学校) おめでとうございます  茨城県龍ヶ崎市」。
シルエットで稀勢の里をあらわしている。
いいセンス!
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ちょうど、そこへ先生が来られた。
「稀勢の里関、おめでとうございます。今日は展示室を見学することは出来ますか」。
「申し訳ありませんが、今日は休日なので、見学はできません。平日は見学が出来ます。こちらに掲示してある通り、サプラで特別展示をやっていますので、そちらへどうぞ。サプラは小学校の少し先にあります」。
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「ひとつ、お聞きしたいことがあります。横綱の出身地、牛久市についてであります。私の理解では、生まれは兵庫県芦屋市、幼き頃に龍ヶ崎市へ、学校は松葉小学校卒、長山中学校卒、中学のときに龍ヶ崎市から牛久市へ、ということです」。
「その通りです。中学2年のときに龍ヶ崎から牛久に引っ越したのですが、中学は転校することなく、そのまま、本校に通っていました。ということで、実家が牛久市なので、出身地は牛久市となっています」。
「よく分かりました。タニマチが龍ヶ崎市ではなく、牛久市にいるので、牛久市出身といっているという説がありますもので...」。
「そういう話を聞いたことはありません。サプラの展示を楽しんでください」。
「お引止めしました。有難うございました」。

学校の先生がタニマチのことまでは承知されていないのは当然のことであろう。
「牛久市出身」は、あくまで実家があるからということ。
タニマチは牛久市に多くいるのであろう。

第一話で次の通り綴った。
-------------------------
2月初旬、或る集まりがあった。
そこで、稀勢の里の優勝、横綱昇進が話題となった。
茨城県人、取手市在住の友人曰く、「稀勢の里のタニマチは、龍ヶ崎市にはおらず、牛久市にいるので、牛久市出身としている]
と。なかなか面白い話である。
----------------------------

実家が牛久市にあるから、牛久市出身、これはこれで是とする。
一方、話題としては、牛久市にタニマチが多いから、牛久市出身、これもなかなか捨て難いものがある。

龍ヶ崎市は、「牛久市出身」に拘らず、「龍ヶ崎育ち」の稀勢の里を一生懸命に応援していることが感じ取れ、好感が持てる。

牛のようにどっしりと、そして、龍のように強くである。
稀勢の里は、龍ヶ崎と牛久、ふたつの縁のある地を持つ幸せ者なのである。

長山中学校から、再び、松葉小学校方面へ走り、特別展示会場「サプラ」へと向かう。

フォト:2017年2月12日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-13 23:04 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)
2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/龍ヶ崎市(1)』 ki-3

2月12日(日曜)。
祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ。

藤代宿の東端、小貝川/宮和田の渡しに至り、少し、上流の国道6号線(現・水戸街道)の文巻橋を渡り、龍ヶ崎市に入る。

龍ヶ崎市内の旧水戸街道を走りながら、立ち寄りった先については、一昨年10月に走ったときのことを綴ったマイ・ブログ、「旧水戸街道ポタリング/若柴宿の巻」をご覧いただくとして、本ブログではそれ以外の<特記事項>を綴っておきたい。
「旧水戸街道ポタリング/若柴宿(上)」
「旧水戸街道ポタリング/若柴宿(中)」
「旧水戸街道ポタリング/若柴宿(下)」

小貝川右岸から左岸から対岸の宮和田の渡しを眺める。

「上総さん、富士山が見えます」と武衛さん。
「よく、気づいて貰いました。サンキューです」と上総。

小貝川左岸からの富士の姿。
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ズームアップ。
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東の筑波、西の富士。西の富士をカメラに収めたなら、関東平野を挟んで東にそびえる筑波山の姿も撮ってやらねば。
先ほど、文巻橋から撮った筑波山に加え、富士山を眺めた同じ場所からの筑波山もカメラに収める。
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ズームアップ。
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日本百名山、標高順、第1位は、申すまでもなく、富士山(3776m)、そして、標高順、第100位は筑波山(877m)。
何故、筑波山が日本百名山なのかという議論があるようだが、それはここでは語らない。
ただただ、東の筑波、西の富士、なのである。

若柴宿。
一昨年10月にも訪ねた「鬮神社」へ。
前回のブログでも記したが、「くじ」は、「籤」ではなく、「鬮」の漢字が使われている。
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鬮神社。
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この雰囲気が好きだ。
前回、訪ねたときにも思ったことだが、宮崎駿監督のアニメーションに登場してもよさそうな雰囲気だ。

財布からロト6の券を取り出し、祠の前に置き、当たりを祈願。
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祠の前に置かれた杓文字には合格祈願や宝くじ当選祈願が記されている。
<記録>として、前回、訪ねたときも祈願の杓文字の写真を撮ったので、今回も撮ってみた。
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前回(2015年10月20日)、撮ったものもここに掲載しておこう。
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前回と今回を見比べてみたところ、面白いことが分かった。
今回の左から六つ目の杓文字には「オータム宝くじ高額当選お願いします」とあり、前回の左から二つ目は「宝くじが大きく当たりますように」とある。
願い事の下に書かれた名前を見ると同じ名前であった。
他人様のお願い事を眺めているようでは、オイラのロト6の当たりは望めないな...。

稀勢の里は、密かに、この神社にお参りし、優勝と横綱昇進を祈願したかもしれないと思いながら、表通りの旧水戸街道へ戻る。

街道筋には大きな屋敷が並ぶ。
見越しの松に白梅の図。
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新田義貞ゆかりの藁干観音の言い伝えのある金龍寺にも梅の花が真っ盛り。
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本堂。
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龍コレクション。
眼に金色が塗りこめられている龍も珍しい。
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扁額コレクション。
金龍寺の名に相応しい金文字の扁額。
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星神社。
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意味深な形の注連飾り。
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「男山」と墨書されている。
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この注連縄の形と「男山」の墨書に込められた意味を、機会があれば、龍ヶ崎市教育委員会に尋ねてみようと思う。

前回は、鳥居近くにある神社の由緒書きに目を通し、その場で参拝して終わったが、今回は参道を進む。
すると、武衛さんが「上総さん、こちらに相撲ネタになることがありますよ」と教えてくれた。

「献納 一力長五郎」の札と共に一対の燈篭(常夜灯)が立ち、その脇に「一力長五郎の略歴」が書かれていた。
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一力長五郎の略歴
長五郎は当地富士の下出身の力士。
幕末期の江戸大相撲で活躍。
幕末期の江戸大相撲で活躍。
本名は山崎安好で文化11年(1815)生まれ。
安政6年(1859)前頭筆頭に昇進、上位陣に強く大物食いの長五郎と言われた。
同年8月巡業先の奥州一ノ関で病没(44才)。
星宮神社には長五郎が奉納した燈籠2基がある。
死を前に「牛久沼越しに富士山の見える場所に墓を作ってくれ」と遺言を残した。
文久3年(1863)地元有志により冨士の下の牛久沼が見える場所に墓が建てられた
----------------------------

武衛さんが、道路脇の「若柴宿案内図」の左下に、小さく、小さく、書かれた「一力長五郎墓」の文字を見つけた。
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説明板にある通り、牛久沼が見える場所なのであろう。
次回、機会があれば、墓参に行ってみたい。

常陸国あるいは茨城県出身力士を調べてみた。
(江戸時代)
稲妻雷五郎(7代横綱、常陸国河内郡阿波崎村(現・茨城県稲敷市)、文政の三傑・古今十傑
(明治以降)
常陸山谷右エ門(19代横綱)、水戸市
男女ノ川登三(34代横綱)、つくば市
武双山正士(元大関)、水戸市
大内山平吉(元大関)、ひたちなか市
多賀竜昇司(元関脇)、日立市
水戸泉政人(元関脇)、水戸市
日立龍栄一(元前頭)、日立市
大至伸行(元前頭)、日立市
雅山哲士(元大関)、水戸市
稀勢の里寛(72代横綱)、牛久市
髙安 晃(最高位、関脇)、土浦市

一力長五郎の名はない。
江戸時代の力士の記録は相当に有名でないと、一般の資料には出ないのであろう。
江戸時代の記録を詳細に調べてみなければ、説明板に書かれた略歴以上のことは分からない。

稀勢の里は、相撲教習所で一力長五郎のことを勉強したであろうか。
相撲教習所で教えられなくとも、郷土の力士であるから知っていると信じたい。

今回は稀勢の里関連ポタ。
武衛さんのお陰で、相撲関連で、一力長五郎なる関取の<取材>が出来た。

今のところ、龍ヶ崎市に入り、稀勢の里関連取材は出来ていない。
綴ったのは、稀勢の里は密かに鬮神社にお参りしたんじゃないかとか、郷土の力士、一力長五郎のことを知っているだろうかとか、想像の範囲でのことだけである。

稀勢の里が通っていた小学校と中学校での取材に期待出来る。
旧水戸街道を横切る県道243号線を右折、東進し、龍ヶ崎ニュータウンにある、稀勢の里が通っていた小学校と中学校へと向かう。

フォト:2017年2月12日
フォト#5、#9:2015年10月20日(アーカイブより)

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-13 23:03 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)
2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/取手市藤代町』 ki-2

2月12日(日曜)。
祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ。
JR藤代駅に降り立つ。

藤代駅は東西に位置する藤代宿の真ん中あたりにある。
一先ず、西へ走り、藤代宿の西端から出発し、東へ走り、東端の小貝川/宮和田の渡しに至る。
旧水戸街道/藤代宿の通りを走りながら立ち寄った先については、一昨年10月に走ったときのことを綴ったマイ・ブログ、「旧水戸街道ポタリング/藤代宿の巻」をご覧いただくとして、本ブログではそれ以外の<特記事項>を綴っておきたい。
「旧水戸街道ポタリング/藤代宿の巻(中)」
「旧水戸街道ポタリング/藤代宿の巻(下)」

旧水戸街道/藤代宿の通りを走りながら、国道6号線(現・水戸街道)と交わる片町交差点の角で、稀勢の里関連取材、第1号が叶った。

片町交差点角、某国会議員事務所の窓に「祝 横綱 稀勢の里」のポスターが。
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「祝 横綱 稀勢の里」ののあとに議員の名があるが、それは、念のため、モザイク処理。
ここは取手市藤代町であり、稀勢の里の出身地である牛久市でも卒業小・中学校の所在地である龍ヶ崎市でもないが、牛久市も龍ヶ崎市もこの議員さんの選挙区であるから、取手市藤代町の選挙事務所に祝いのポスターが貼られていても特段、おかしくはない。

取手市藤代町で見たのは、唯一、この某議員事務所の「祝 横綱 稀勢の里」のポスター」だけであった。

藤代宿の東端、小貝川/宮和田の渡しに至る。
宮和田の渡しは、今はない。
対岸、そして、上流側の国道6号線(水戸街道)の文巻橋、下流側JR常磐線の鉄橋を眺める。
上流側へ走り、文巻橋を渡りながら、筑波山を眺める。
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アップで。
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鳥見写真も。
小貝川のカンムリカイツブリ。
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文巻橋を渡り切り、龍ヶ崎市に入る。

フォト:2017年2月12日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-13 23:02 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)
2017年 02月 13日

『祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ/序』 ki-1

稀勢の里が優勝したら、牛久へ鰻を食べに行こうとずっと思い続けて来た。

大相撲初場所、稀勢の里は、見事、初優勝!
そして、横綱昇進も決定!
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稀勢の里の優勝、横綱昇進が決まったとき、新聞、テレビでは一斉に稀勢の里のこれまでの足跡につき報道した。

稀勢の里は牛久市出身で、中学卒業後、即、相撲界に入ったことは承知していたので、卒業した中学校は牛久市内の中学校と思っていたが、龍ヶ崎市内の中学校であると報じられた。
で、調べてみた。
-----------------------------
生まれは、兵庫県芦屋市。
幼き頃に龍ヶ崎市へ。
龍ヶ崎市立松葉小学校、長山中学校卒。
中学2年のとき、龍ヶ崎市から牛久市へ。
------------------------------

Yahoo!mapで、松葉小、長山中をチェックしてみた。
龍ヶ崎市内は、一昨年の10月、「旧水戸街道の旅」で通過しており、そのとき、松葉小、長山中の近くを走っていたことが分かった。

長山中学校には「稀勢の里資料室」が設けられていると報じられていたので、「牛久鰻ポタ」のときに立ち寄ってみるのもいいなと思った。

2月初旬、或る集まりがあった。
そこで、稀勢の里の優勝、横綱昇進が話題となった。
茨城県人、取手市在住の友人曰く、「稀勢の里のタニマチは、龍ヶ崎市にはおらず、牛久市にいるので、牛久市出身としている」と。
なかなか面白い話である。

jitensha club/ドラポタの面々に「稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタをするつもり」とメールを送った。
すると、武衛さんから「牛久鰻ポタ、お供します。某には、牛久と鰻に思い出があります。昔、筑波の伯母の処に寄った際に、一昨年亡くなった従兄が牛久沼畔の鰻屋でご馳走してくれたことです。店の名前は分かりませんが、再び牛久の鰻を味わいたく思っています」との返信があった。

次の通り、案内を送信した。
----------------------------
武衛殿
cc:ドラポタ各位

ドラポタのご案内です。

企画名:「祝!稀勢の里優勝横綱昇進記念牛久鰻ポタ」

期日:2月12日(日曜)
集合場所:JR藤代駅北口
集合刻限、場所:午前8時32分(常磐線藤代駅着時刻)

コース:
藤代駅
~藤代宿
~若柴宿
~龍ヶ崎市立松葉小学校・長山中学校(稀勢の里展示室・・・日曜日、見学できればいいのだが)
~旧水戸街道から外れて、新・水戸街道(国道6号線)へ
~新・水戸街道(国道6号線)牛久沼沿い、通称、牛久うなぎ街道の店へ
~牛久宿
~牛久アヤメ園/河童の像
~小川芋銭河童碑、雲魚亭
~シャトーカミヤ
  (本館は、東日本大震災以降、永らく大改修工事中であったが、HPを見たところ、工事中の特記はなく、完工している模様)
~牛久駅

以上、よろしくお願いします。
上総
----------------------------

稀勢の里について、藤代宿、若柴宿、牛久宿を走りながら<取材>したことを、一昨年10月の「旧水戸街道の旅」を綴ったブログも交え、続編で綴っていきたい。

フォト:2017年2月12日、竜ヶ崎ニュータウン/ショッピングセンター SAPLA にて

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-13 23:01 | 稀勢の里優勝記念ポタ | Comments(0)
2017年 02月 11日

『手賀沼鳥見 2017.2.11/梅にメジロ/ウメッシュ!』 tb-4

2月11日。
手賀沼鳥見。
「梅にメジロ」、前話では撮影枚数124枚中、ハイライト的に6枚をアップロードした。
それで終えようと思ったが、メジロたちがそれぞれに「ぼくもアップロードしてください」、「おいらも」、わたしも」というので、「梅にメジロ/ウメッシュ!」と題し、その続編を。

花に埋もれて、ウメッシュ!。
a0289546_0512888.jpg
ウメッシュ!三態、連続写真で。
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頂きで、ウメッシュ!四態、連続写真で。
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あっちの花蜜が甘いかな?
スウィング三態、連続写真で。
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コゲラも花見に。
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あっちの花へ移ろうかな。
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「梅にメジロ」、撮影枚数124枚のうち、最もお気に入りの「ウメッシュ!」がこれ。
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メジロさんたち、いっぱい遊んでてくれて、サンキュー!

フォト:2017年2月11日

(完)
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# by ryujincho | 2017-02-11 23:54 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 02月 11日

『手賀沼鳥見 2017.2.11/起承転結/梅にメジロ/』 tb-3

2月11日(土曜)、晴れ。
手賀沼鳥見。
手賀沼西端、かわせみ池近くの剪定されていない雑木林的な梅林で、アトリに遊んで貰った。
南岸から東端を回り、北岸を走っている途中で、コゲラ、シジュウカラ、エナガに遊んで貰った。
今日は、オスのジョウビタキには遭えなかったなと思った瞬間、遭え、且つ、三度目の正直でカメラに収めることが出来た。

ジョウビタキのオスに遭遇したのは幸運。
幸運は更に続く。
ジョウビタキがいた近く梅の木に鳥影が。
鳥影は、勿論、梅にメジロ!
少なくとも、3、4羽はいる。
花見を楽しんでいる風の一羽。
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花に顔を突っ込んで、花蜜を味わっている一羽。
a0289546_0161095.jpg
花に埋もれて花蜜を味わっている一羽。
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正調「梅にメジロ」の姿を見せてくれる一羽。
a0289546_0203812.jpg
高みから景色を楽しんでいる一羽。
a0289546_0205719.jpg
「梅にメジロ」、撮影枚数124枚のうち、最もお気に入りの写真がこれ。
題して、「ウメッシュ!」。
数年前にも使った標題だが。
a0289546_022099.jpg

この日の鳥見は、手賀沼西端、かわせみ池近くの、梅林雑木林で出会った顔なじみの Birder さんとの会話で始まった。
その中で、Birder さん曰く、「梅にメジロを狙って、ここへ来たのだが、メジロはおらず、アトリがいます」と。
この日の鳥見は「梅にメジロ」に始まり、「梅にメジロ」で終わることとなった。
起承転結(承と転は???だが...)、誠に上手く仕上がった鳥見であった。

ということで、ここで本ブログを終えたいところだが、もう少し、「梅にメジロ」を続編でアップロードしておきたい。

フォト:2017年2月11日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-11 23:53 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 02月 11日

『手賀沼鳥見 2017.2.11/三度目の正直/ジョウビタキ(♂)』 tb-2

2月11日。
手賀沼鳥見。
手賀沼南岸から東端を回り、北岸に入る。

昨年12月にヒクイタを撮ったスポットで jitensha をとめる。
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昨年12月、ここでヒクイナに遭遇した。
以降、ここでヒクイナに遭遇したことはなく、いつも、姿を見せてくれるのはバン。
a0289546_14422338.jpg
コゲラ。
上へ登って行こうかな、それとも...。
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それとも、別の枝に飛び移ろうかな...。
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シジュウカラ。
a0289546_1131959.jpg
ズームアップ。
a0289546_1161992.jpg
最近、トライしている<正面顔コレクション>を狙うも、梢に美味い餌があるのであろう、それに集中して、顔は上げてくれず。
しかし、<正面真ん丸>図もなかなか面白い姿だ。

葦の原に鳥影。
エナガだ。
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顔を見せてくださいなと念じたところ、応えてくれた。
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このあとも、手賀沼北岸遊歩道を走りながら、コゲラ、シジュウカラ、エナガに遭遇し、鳥見を楽しみながら、手賀沼公園近くまで来た。
今日は三度目の正直と思って、期待していたのだが、遭えなかったなあと思った瞬間、居た!
ジョウビタキのオスが!
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逃げないでね、ちょっと、こっちを向いてくれると嬉しいんだけど、と念じたところ、横顔を見せてくれた。
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ちょっと、移動して、且つ、ズームアップで。
でも、背中姿だ。
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木に飛び移った。
レンガ色の背景がいいのか悪いのか...。
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逃げないでね、ちょっと、こっちを向いてくれると嬉しいんだけど、と念じたところ、横顔を見せてくれた。
a0289546_1534982.jpg

先日来、手賀沼北岸、里山の細道の杭で、そして、南岸の手賀大橋袂近くの葦の原で、二度、ジョウビタキのオスを撮り損ねたが、三度目の正直、遂にその姿を撮ることが叶った。
住宅地近くの遊歩道なので、背景がちょいと気に入らないが、贅沢を言っちゃいけない。

<三度目の正直記念>として、<鳥見ング図>にしてみた。
a0289546_243155.jpg
鳥見写真は「目」が大事だが、眼は黒い顔の中に埋もれてしまっている。

ジョウビタキのオスに遭遇したのは幸運。
幸運は更に続く。
ジョウビタキがいた近く梅の木に鳥影が。

フォト:2017年2月11日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-11 23:52 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 02月 11日

『手賀沼鳥見 2017.2.11/梅林雑木林で談笑/アトリ』 tb-1

2月11日(土曜)、晴れ。
手賀沼に出動。
手賀沼西端、かわせみ池近くの剪定されていない雑木林的な梅林に立ち寄る。
毎度、変わらぬパターン。

顔なじみの Birder さんがいた。
「おはようございます。何か、来ていますか」。
「梅にメジロと思って、ここに来たのですが、メジロはおらず、アトリがいます。ちょうど、この正面の奥の枝にアトリが数羽、とまっています」。
枝かぶりの向こうに目を凝らす。
「すみません。右目が白内障になってしまったもので、枝かぶりの向こうでは、左目、近眼+右目、白内障じゃ視力不足です」。
「そうですか。実は私も右目の眼圧が高く、緑内障です。眼圧を下げる目薬をさしています。右目でファインダーを覗いて、左目でファインダーの外の様子を見るというのが常識ですが、右目が不自由なので、左目でファインダーを覗いています。白内障の手術は?」。
「3月初めで予約しています」。
「白内障の手術をした人は元気いっぱいになっています。心臓のカテーテル手術をした人はパワー全快です」。

そんな会話を交わしているうちに、アトリが前面に出て来てくれた。
a0289546_1261310.jpg
ズームアップ。
a0289546_1264535.jpg
地面に降り立って。
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この写真、首を少し傾けているが、正面顔が撮れている。
最近、鳥の正面顔のコレクションにトライしている。
正面顔を<鳥ミング>して、コレクションに。
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正面顔より、やはり、斜め横顔がカワユイ。
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「この間は、風の強い日が続きましたが、そのときは自転車は?」。
「風のきつい中、4、5、6、7、8日と手賀沼出動、5連勝。途中、1日は余りに強い風で半周でギブアップしましたけどね」。
「電動アシスト付き自転車は、風が強いと電気をよく食うんです」。
「なるほど、上り坂だけじゃないんですね。向かい風でもアシストするという理屈はよく分かります」。
この Birder さん、愛車を2台、持っている。
1台はメルセデス、もう1台は某社製電動アシスト付きチャリ。

「カメラとレンズを修理に出して、戻って来たので、今日はその試し撮り。試し撮りは終わったので、これで帰ります」。
「はい、私も来月初め、レンズ交換しておきます。では、また」。

手賀沼南岸を走る。
湖面は穏やか。
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カンムリカイツブリの群れ。
風はさほどなく、寒さもそれほどでもないのに、全員、首をすくめている。
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河津桜の蕾がほころび始めている。
鉄塔もうれしそうだ。
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ハス群生地。
枯れたハスは水面上に残っていたが、年が明けてから、どんどん、水没。
初夏に若い葉が水面に出る準備はもう始まっているのかもしれない。
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水没したハス群生地で、コブハクチョウたちが群れている。
セミ・ズームアップで。
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フル・ズームアップで。
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手賀沼東端に至る。
先日は、強風下、白波を立てていた湖面も今日は穏やか。
a0289546_243874.jpg
手賀沼北岸を走る。
三度目の正直の鳥が撮れた。
その写真も含め、北岸での鳥見の様子は続編で。

フォト:2017年2月11日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-11 23:51 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 02月 09日

『ドラポタ佐久平支部便り/浅間遠望+α/2017.2.8+α 』

ドラポタの盟友、大給守殿は、1月中旬、国許、信州に引っ越し、隠居。
ドラポタ佐久平支部を開設。
隠居前は、時折、参勤交代で戻った国許から電子飛脚便添付で写真が送られて来て、「大給守殿からの便り」とか「佐久便り」と題し、ブログにアップしたことがあった。
隠居後も写真が送られて来るようになった。
これらを「ドラポタ佐久平支部便り」と題し、掲載していくこととしたい。

2月8日。
大給守殿からドラポタ・メンバー宛に「浅間遠望」が送られて来た。
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浅間山は今日も水蒸気を吹き上げています。
菅平にて。
大給
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武衛殿から大給殿宛て、cc:ドラポタ・メンバー宛て返信。
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大給守殿
農閑期の体力作り、ご苦労様です。
浅間山は先日の上野史跡巡りでポタした高崎から前橋にかけてもよく見えました。
水蒸気が東側に流れていました。
「歴史秘話ヒストリア」曰く。古墳時代の人は伊那から浅間山の麓を通って榛名山東麓に入り広大な範囲を開拓して、上野古墳の繁栄をもたらしましたと。今では信じられませんが、その後、2回も大噴火があった由。
武衛
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1月28日、「上野国史跡めぐり」第三弾で、武衛殿と上総にて、山王廃寺、総社古墳群などをめぐった際に、高崎、前橋方面から浅間山を遠望したのであった。

上総より返信。
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大給守殿
ええ写真!
左下の人物はなし、あるいは、足まで(スキー姿かな?)しっかり写っていたら、もっとええんやけどね。
マイ・ブログに「佐久だより」改め「ドラポタ佐久平支部便り」のカテゴリーをつくらなくっちゃと思うとります。
スマホ宛てだったんで、電脳に転送し、拡大して拝見。
カメラからスマホにwi-fiで転送?
写真ナンバーのDSCはニコン?
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大給守殿から「浅間遠望2」と題し、返信あり。
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方々
スマホでの撮影に御座ります。
かじかんだ手で撮影、スキーの時はコンタクトレンズを使用、近いものはメガネと同じで、ほとんど見えず。
スマホの標準文字サイズは良く見えず、勘で入力です。
平日のゲレンデは、がら空き、マイ・ゲレンテとなり、思いきって高速滑降が楽しめます。
10時半から16時半迄、昼休み1時間のみで、休み無し、滑りを堪能しております。
写真は入れ替えました。
大給
a0289546_9443493.jpg
------------------------------------------

「浅間遠望」と「浅間遠望2」を並べると、標題「浅間遠望」しては、最初に送られて来た写真の方がよさそうだ。
彼は以前からスマホ写真が得意。
スマホを携帯し、スキーに興じる、時代は大きく変わった。

今回で菅平は二度目のよう。
前回、1月26日付けの菅平の様子はこうだった。
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今朝も明日も、放射冷却でよく冷えます。
若くしてスキー指導員免許を取った友人から、今日は暇?と誘われて昼から菅平高原へ行ってきました。
何台か最新型スキー板を持ってきてもらい、乗り比べをして来ました。
ブーツのみ最新型、板は何にしようかと迷っているときに絶好の誘い。
平日の菅平は、高校生のスキー実習が多くありましたが、滑りには邪魔にならず。
リフト代はシニア割引、空いているゲレンデは快適そのもの。
13時から16時半のリフト運転停止まで、休み無でのフリー滑走で、スキー現役復活の気力が盛り上がってきました。
(中略)
高原の気温は低く、16時過ぎには指先が感じない程度気温低下でした。
フォトは、菅平白金ゲレンデからの妙高です。
大給
a0289546_031356.jpg
a0289546_0315090.jpg
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スキー実習の高校生を見ながら、昔を思い出したのかな?
それとも、昔、取った杵柄、若者に隠居の颯爽とした滑りを見せ付けてやったのかな?
「リフト代はシニア割引」には笑ってしまった。
※このときのカメラはキヤノン。

1月23日付けで送られて来た「鳥見写真/7割、凍結」も掲載しておこう。
a0289546_0454234.jpg
アップで。
a0289546_046283.jpg

雪の佐久平では jitensha に乗ることはままならないが、そこはよくしたもの、スキーという楽しい遊びがあるのであった。

瀬戸内育ちの小生には、雪国での生活がよくわかっていないが、大給守殿からの便りでそれを疑似体験。
今日は関東地方も降雪、積雪。

フォト提供:ドラポタ佐久平支部 大給守殿
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# by ryujincho | 2017-02-09 23:58 | ドラポタ佐久平支部便り | Comments(2)
2017年 02月 08日

『趾(あしゆび)/シジュウカラ、コゲラ』

2月8日(水曜)、晴れ。
ベランダのゼラニウムの葉陰で越冬するツチイナゴに遊んで貰ったあと、手賀沼に出動。
これで、今月の手賀沼出動は五連荘。
北風が強いが、前日の強風に比べれば、楽勝。

手賀沼西端、かわせみ池近くの雑木林の梅林に立ち寄る。
シジュウカラが2羽、小枝を突っついている。
枝かぶりで鳥見写真は上手く撮れない。

南岸を走る。
昨日は左肩からの追い風、或いは、左横からの風に煽られたりしたが、今日は楽チン。
手賀大橋近くの葦の原に、ジョウビタキ(オス)の姿が。
カメラを準備しているうちに飛び去った。
ここで、ジョウビタキの姿を見たのは初めてだ。
鳥見写真は撮り損ねたが、ジョウビタキの新たな鳥見スポットを発見ということが大事なことだ。

連日、白波を立てていた湖面も今日は穏やかな波。
a0289546_725374.jpg
手賀沼東端から北岸へ入る。

輝く湖面とカモのシルエットを楽しむ。
a0289546_7264248.jpg
北岸を走る。
桜並木に差し掛かる。
シジュウカラが小枝の表面を突っついている。
昆虫の蛹かカイガラムシを突っついているのであろう。
a0289546_730046.jpg
ズームアップ。
a0289546_7355533.jpg
コンデジのファインダーは画角が狭く、ズームアップすると画角からはみ出しそうになり、センターを外してしまった。
しかし、この写真は、枝を掴む趾(あしゆび)の形が、バッチリ、撮れており、採用。
枝を掴む趾(あしゆび)は、鉄棒でいうところの、逆手のようである。

コゲラの声が聞こえる。
コゲラの姿を探す。
いた、いた、白と褐色の斑模様のコゲラが。
a0289546_7422682.jpg
落ち着きなく、幹を、枝を、上へ上へと登って行く。
a0289546_7453015.jpg
斜めに張り出した枝の下であろうと、自慢の趾(あしゆび)でしっかりと枝に張り付いている。

「東京オリンピック 2020」では新しい競技として、ボルダリング(Bouldering)が加わった。
”boulder”とは「(水の作用で角の取れた)大きな岩、巨石」の意。
大きな岩を登ることから、このスポーツを”ボルダリング(Bouldering)”と称するようになったとのことである。

先日、テレビで、ボルダリング・ジャパンカップを見た。
岩(擬似の岩だが)がせり出した下にぶら下がらなければならない箇所もある。
コゲラの趾(あしゆび)を持たずとも、選手は見事に登って行った。
そんな場面を思い出しつつ、コゲラを眺めた。

自慢の趾(あしゆび)に続いて、自慢の嘴(くちばし)も撮ってやった。
a0289546_7491686.jpg
画像を90度、回転させるとこんな感じ。
a0289546_86356.jpg

趾(あしゆび)について。
-----------------------
趾(あしゆび、英: Dactyly, toe)とは、鳥類特有の足のつま先に該当する部分である。
鳥類の趾では、第5趾が完全に退化しており、基本は4本の趾を持つ。
第1趾が後方を向く形が多く、これは木の枝を掴む際に好都合な形状をしている。
この場合を三前趾足(さんぜんしそく)または正足(せいそく)と呼ぶ。
それぞれ第1趾(後趾)、第2趾(内趾)、第3趾(中趾)、第4趾(外趾)のように別称がある。
なお、ダチョウ目のエミューでは、第1趾が退化して三趾となっており、ダチョウではさらに第2趾が退化して二趾(第3趾、第4趾)となっている。
キジ類のうちのウコッケイは、例外的に趾が5本ある。
(出典:ウィキペディア)
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フォト:2017年2月8日
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# by ryujincho | 2017-02-08 23:51 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 02月 08日

『越冬/ツチイナゴ』

ベランダのゼラニウムの葉陰に、バッタの姿が。
数日前にも見たので、ずっとここで寒さを凌いでいるようだ。
a0289546_1014654.jpg
「バッタ 越冬」でネット検索したところ、「ツチイナゴ、成虫で越冬」にヒット。
図鑑のツチイナゴとゼラニウムの葉陰にいるバッタを見比べてみた。
a0289546_10143120.jpg
ツチイナゴと判定。

このツチイナゴ、薄紅色の葉陰を常宿としているなら、冬が終わる頃、その体色は枯葉色から薄紅色に華麗なる変身をしているかもしれない。

フォト:2017年2月8日
カメラ:オリンパスTG-3/顕微鏡モード(フォト#2)
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# by ryujincho | 2017-02-08 10:35 | 虫撮りの記(2017年) | Comments(0)
2017年 02月 07日

『南極観測60周年を思いながら』

2月7日(火曜)。
晴れ、最高気温8度、北寄りの風、強し。
昨日に続き、手賀沼へ出動。
今月の手賀沼出動はこれで四連荘。

南岸を東へ向け、走る。
昨日は西風で、完全に追い風だったが、今日は北寄りの風。
追い風ではあるが、左後方からの風、時として左横からの強い風に煽られて jitensha が右へ押し流される。

波立つ湖面。
a0289546_20353295.jpg
白波をアップで。
a0289546_20354839.jpg
余りに風が強いので、このまま南岸を走り、東端を回り、北岸に入り、手賀沼一周という毎度のパターンは諦め、手賀大橋を渡り、半周で終わりとすることにした。

手賀大橋南詰の「道の駅 しょうなん」の脇を通り、橋へと向かう。

「道の駅 しょうなん」脇の「チーバくん」の幟旗が強風で捲くれ上がってしまっている。
a0289546_20494229.jpg
少し顔を出したチーバくん。
a0289546_2049575.jpg
懸命に顔を出してくれたチーバくん。
a0289546_20501145.jpg
手賀大橋を渡る。
波立つ湖面。
a0289546_20573166.jpg
白波をアップで。
a0289546_20575775.jpg
橋の上は、もろに風を受ける。
煽られて倒れそうになる。
常磐線や地下鉄東西線は風が強いと江戸川鉄橋で徐行したり、運転を取りやめたりする(今日はどうだったかは不明ながら)。
瀬戸大橋を走るJR瀬戸大橋線も同様の対応である(同上)。
橋の上で jiensha に乗って、ひっくり返って、怪我でもしたら、アホやといわれるだけである。
jitensha から降り、<押し>で進む。

最近、南極観測60周年のテレビ番組を幾つか見た。
1956年(昭和31年)11月8日、第1次観測隊の「宗谷」は東京を出港、順調に南極の氷海に接岸し、1957年(昭和32年)1月29日、南極・オングル島で上陸式を挙行。
その日から60周年を迎えたのだ。
番組では、昭和基地の建設、ブリザードの中での作業などが映し出された。
そして、後に、タロとジロの姿も。
筆者、小学低学年の頃に見た記憶が蘇って来る。
その頃、テレビはまだ家にはなかったから、映画館のニュース映画で見たのであろう。

手賀大橋を<押し>で渡りながら、ブリザードはこんなもんじゃない、ヤワなことやと恥じ入りながら橋を渡った。

夜のニュースで東京地方は風速20メートルであったと報じていた。
手賀沼半周としたこと、jitensha を押して橋を渡ったこと、こりゃ。まあ、しゃーないことや、と心の中で思った。

フォト:2017年2月7日
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# by ryujincho | 2017-02-07 21:45 | Comments(0)
2017年 02月 06日

『梅の花』

2月6日(月曜)。
晴れ、最高気温14度、西風強し。
2月に入り、1日は昼飲み会、酒を飲んだ二日酔い気味の翌日は何となく過ごし、3日は所用ありということで、jitensha に乗っていなかった。
だが、4日、5日、そして、今日と手賀沼出動、三連荘。

いつもとは違う道から手賀沼へ。
強い西風を避けるため、風除けとなる里山沿いの道を西へ走る。
梢で鳥の声。
梢を見上げ、鳥影を探していたところ、左側に立っていた杭から鳥が1羽、飛び立った。
黒い羽、オレンジ色の胸、ジョウビタキのオスであった。
左の杭に鳥が止まっていることに全く気付かなかった。
高さといい、距離といい、鳥見写真を撮るのに絶好の位置だった。
残念と思っても仕方がない。
この道にジョウビタキのオスがいることが分かっただけでも儲けものとポジティヴに考えることとした。

手賀沼西岸、かわせみ池近くの梅林に立ち寄ってみる。
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梅林といったって、全く剪定されていない、梅の雑木林である。
ベニマシコが来ていたり、メジロが来ていたりで、結構、鳥見で楽しませてくれる梅林であるが、今日は、全く、
鳥影がない。
先日、テレビで太宰府天満宮の「飛梅」の開花した様子を見たなあと思いながら、雑木梅林の白い梅の花を楽しむのえあった。

手賀沼南岸を走る。
相当に西風が強い。
強い西風を背に受けて、完全追い風モード。
ペダルを漕がずとも、サイクルコンピューターの時速表示は19km/hから20km/hの間を行ったり来たりしている。
楽チン!

波立つ湖面。
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白波をアップで。
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手賀沼東端から北岸に入る。
今度は、チョー、強力な向かい風。
サイクルコンピューターの時速表示は、10km/h、9、8、7...と下がっていく。
漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ、5km/hをキープして。

輝く湖面。
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強い風を避け、入り江で休息するカモたち。
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明日はジョウビタキのオスを撮るぞ!と固い決意だが、さて?

フォト:2017年2月6日
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# by ryujincho | 2017-02-06 23:58 | Comments(0)
2017年 01月 27日

『神田界隈』

1月26日。
神田司町、創業明治38年、「みますや」。
武蔵守くんと一献。
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「神田須田町に以前から気になる燻製専門店あり。行ってみよう」。
靖国通りを渡り、神田須田町へ。
創業明治17年、「神田まつや」。
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創業天保元年、「いせ源」。
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創業昭和5年、「竹邑」。
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創業明治13年、「神田やぶそば」。
早々と灯りは消えてと思ったら、冬季休業であった。
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創業昭和8年、「珈琲ショパン」。
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「けむり」。
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「ここが以前からの気になっていた店。入ってみよう」。
外観に似合わず(と言っては失礼かな?)、店内は独特の雰囲気を醸し出しており、いい感じ。
燻製をつまみにジントニックを2杯ばかり飲んた。
レストラン・メニューもあるから、次回はワインを飲みながらゆっくりと。
以上、神田徘徊の巻、おしまい。

フォト:2017年1月26日
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# by ryujincho | 2017-01-27 23:58 | 街歩き | Comments(0)
2017年 01月 27日

『世界遺産 ラスコー展(Ⅱ)』

「世界遺産 ラスコー展」。
本ブログの前編で、謎の「記号」について綴ってみた。

本ブログでは「記号」のことだけに留めようと思ったが、再現された5ヶ所の洞窟壁画のうち、5ヶ所目の「井戸の場面」は先の4ヶ所と画風を異にしているなど興味深い点が多々あるので、「井戸の場面」について少々触れておきたい。

「井戸の場面」。
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井戸の場面
・物語を感じさせる場面で、洞窟の最深部である「井戸状の空間」に描かれました。
・傷つき、腸がはみ出たバイソンが、トリの頭をした男を突き刺しています。
・男の下にあるのは、トリを彫刻した投槍器(槍投げの補助具)と思われます。
・向かって左側にはケサイがあり、その尻尾の下に6つの点が描かれています。
・第3章でご覧いただいた<ラスコー洞窟のランプ>はここで発見されました。
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腸がはみ出たバイソン。
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トリの頭をした男、足元の投槍器。
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左/ケサイ、尻尾の下に6つの点。
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この洞窟壁画を眺めながら、昨年11月に訪ねた保渡田古墳群(群馬県高崎市)の八幡塚古墳から出土した埴輪群と重ね合わせるのであった。
埴輪群の中に、弓矢で射られ、臀部に矢が刺さり、血の滲んだイノシシがあった。
時代は大きく異なれど、何かを表現したいという欲求に駆られることは共通しているのかもしれない。

左端の「ケサイ」とは?
その姿は「第5章 ラスコーの壁画研究」のパネル「クロマニョン人がみた動物たち」にあった。
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右から二頭目が「ケサイ」である。
ケサイについて調べてみたところ、「ケサイ(毛犀)。ケブカサイ(毛深犀)ともいう。2万~10万年前の大氷河時代の終りに、ヨーロッパから北アジアにかけて広く分布していた大型で毛深いサイ」とあった。

「第5章 ラスコーの壁画研究」での映像解説の中で記憶に残ったことは次の通りである。
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描かれたウシは、胴が太く、頭と首は小さく、細く、四肢は細く、短いのが特徴である。
複数のウシが描かれているが、どのウシも同様の特徴で描かれている。
ラスコーの壁画は、一人の<画家>が描いたのではなく、複数の人たちで描かれたはずなので、誰かリーダーがいて、こういう形で描くようにと指示したのではないかと思われる。
因みに、リーダーの<画家>はシャーマン的な人であったかもしれないとの説もある。
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この解説を聞いて、複数のウマも同様の特徴で描かれていることに気付いた。
リーダーがいて、その指示のもと、同様のパターンで描く。
クロマニョン人は、個々の動物のみならず、壁画全体の仕上がりもイメージしながら、統一感の絵ある壁画を描き残そうとしたとすれは、これは素晴らしい芸術心、美的感覚を持った人たちであったことが伺える。

子供たち向けの案内キャラクターになった「トリ人間」。
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ラスコー洞窟内部の写真。
「牡牛の広間:入り口側からの眺め」(写真右下記載のキャプション)。
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『身廊』内の眺め:左壁に黒い牝ウシ、右壁に《泳ぐシカ》、左奥に《背中合わせのバイソン》」(同上)。
前述では、《泳ぐシカ》と《背中合わせのバイソン》の写真掲載は割愛したが、展示で素晴らしい造形を見た。
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「軸状ギャラリーの入口:牡牛の広間からの眺め」(同上)。
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首から上が黒い牝ウシ。体が赤褐色の牝のウシは、首から上が黒く描かれている。ほっそりとした首や角、長い尻尾が優美である」(同上)
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「突き当たりのひっくり返るウマ。この空間の突き当たりでは、体が黄褐色で、たてがみと脚が黒いウマが真っ逆さまにに落ちていくかのように描かれている。(写真右中央)」(同上)。
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ラスコーの壁画は非公開となっている今、洞窟内の<ナマ>の写真は貴重である。

あれこれ綴って来た本ブログも、愈々、最後となった。
最後ではあるが、会場に入ったときに目を通した主催者の挨拶文を掲載しておこう。
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ご挨拶
今から2万年ほど前、フランス南西部のヴェゼール渓谷にある洞窟に、壮大な壁画が描かれました。
そこはラスコー洞窟、壁画を描いたのはクロマニョン人です。
ラスコー洞窟の壁画は、クロマニョン人が描いた数ある壁画の中でも色彩の豊かさや、技法、そして600頭とも言われる圧倒的な数の躍動感あふれる動物画が格別に素晴らしく、1979年に世界遺産にも登録されました。
壁画を保存するため、洞窟は現在非公開となっていますが、その魅力を広く人々に知ってもらうべく、フランス政府公認のもと制作された展覧会が世界巡回している「LASCAUX INTERNATIONAL EXHIBITION」です。
そして、世界各国で人気を博しているこの巡回展に日本独自のコンテンツを加えたのが「世界遺産 ラスコー展」です。
本展では、謎に包まれたラスコー洞窟の全貌を紹介するとともに、1ミリ以下の精度で再現した実物大の洞窟壁画展示によって、研究者ですら入ることができない洞窟内部の世界を体験することができます。
また、クロマニョン人が残した芸術的な彫刻や多彩な道具にも焦点をあて、2万年前の人類の豊かな創造性や芸術のはじまりを知る旅にご案内いたします。
最後になりましたが、本展の開催にあたり、貴重な資料を出品いただきました、フランスの国立考古学博物館、国立先史博物館、古人類学研究所、アキテーヌ博物館をはじめ国内外の博物館、研究機関、ご後援、ご協賛、ご協力を賜りました関係各位に心から御礼申し上げます。
主催者
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フランスの西南部、ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置するラスコー洞窟は1963年に閉鎖され、壁画は非公開となっているが、1983年、一般見学が可能なように、オリジナルの洞窟の近くにレプリカの洞窟「ラスコー2」が作られた。
更に、遠隔地での展示が可能なようにレプリカの洞窟「ラスコー3」が作られ、フランス国内で巡回の後、カナダやアメリカを巡回、日本では、今年、上野の国立科学博物館、東北歴史博物館、九州国立博物館を巡回することとなっている。
オリジナルの洞窟近くでは、昨2016年12月、「ラスコー4」がオープンしたとAFP通信は伝えている。

見物客の吐く息で壁画は損傷し、洞窟は閉鎖されたが、レプリカを次々と製作し、一般公開しているのは、文化に優れたフランスらしいない失敗をしてしまった(日本でも高松塚古墳で同様の失敗をしている)が、それをリカバーする努力もなされている現われであろう。

レプリカは「ラスコー2」、「ラスコー3」、「ラスコー4」と名付けられているが、しからば、「ラスコー1」は?
それは、オリジナルのラスコー洞窟壁画であることは申すまでもなきことであろう。

「世界遺産 ラスコー展」公式ショップにて。
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牡ウシの足元の、四角形の記号をもう一度...。
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発見!牡ウシの足元のみならず、胴、首、顔にも記号らしきものが...。

フォト:2017年1月26日

(完)
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# by ryujincho | 2017-01-27 23:52 | Comments(0)
2017年 01月 27日

『世界遺産 ラスコー展(Ⅰ)』

1月26日、上野・国立科学博物館で開催中の「世界遺産 ラスコー展」を楽しんだ。
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「ラスコー展」に行こうかどうしようかと昨年秋から思案。
年が明け、1月21日(土曜)、TBS「世界ふしぎ発見!30周年スペシャル」を見た。
番組の中で、雑誌「ナショナルジオグラフィック」が毎年世界から選抜する“エマージング・エクスプローラー(新しい時代を切り開く研究者)"の一人、洞窟壁画を研究するカナダの新進気鋭の古人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー女史が紹介された。
彼女が注目したのは、動物画ではなく、これまで見過ごされてきた図形や記号で、ヨーロッパ中の洞窟の図形や記号を調査し、その解読に挑戦しているのである。

洞窟壁画の中に、図形や記号があることをこの番組で知り、図形や記号を是非見たいと思い、「ラスコー展」に行こうと決心した。

TBS「世界ふしぎ発見!」から、少々、画像を拝借して。
古人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー女史。
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図形と点。
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ヨーロッパ中の洞窟で集めた32の記号。
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自然界や生活のことを表した記号との仮定のもと、女史は一生を掛けてその解読に挑むという硬い決意。
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1940年、世紀の大発見をした4人の少年のうちの一人、シモン・コエンカス少年(再現映像)。
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今や好々爺となったシモン・コエンカス氏が登場。
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国立科学博物館「ラスコー展」へ。

「ラスコー展」は全8章で構成されている。
第1章 衝撃の発見、壁画の危機、そして、閉鎖
第2章 封印された洞窟を開く よみがえるラスコー
第3章 洞窟に残されていた画材・道具・ランプの謎
第4章 ラスコー洞窟への招待
第5章 ラスコーの壁画研究
第6章 クロマニョン人の世界 芸術はいつ生まれたか
第7章 クロマニョン人の正体 彼らはどこから来たのか
第8章 クロマニョン人の時代の日本列島

第1章 衝撃の発見、壁画の危機、そして、閉鎖。
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---------------------------------
ラスコー洞窟とその壁画は、1940年に地元の少年によって偶然発見されました。
その素晴らしさは感動を呼び、多くの見物客が訪れましたが、そのために壁画の損傷が進みました。
壁画を構成に残すため、現在、洞窟は閉鎖され非公開となっています。
---------------------------------
偶然の発見
1940年9月8日のこと、モッティニャツク村のマルセル・ラヴィダ少年の飼い犬が穴に落ちてしまいました。
秘密の地下通路を発見したと思った少年は、4日後、友だち3人と、間に合わせのランプをもって現場へ戻りました。
入り口を広げて入ったところ、それは新発見の洞窟でした。
驚いたことに、その中には、無数の古そうな壁画が描かれていました。
(以下、調査の様子、研究者や見物客の吐く炭酸ガスの影響で壁画が劣化、閉鎖に至る記述の掲載は省略します)
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TBS「世界ふしぎ発見!」ではシモン・コエンカス少年が登場、「ラスコー展」では犬の飼い主であったマルセル・ラヴィダ少年の名が登場。
解説では「犬が穴に落ちてしまった...」とあるが、或る資料では「犬が追いかけていたウサギが穴に逃げ込んだので...」とある。
細かいことをいうつもりはない。
洞窟内に描かれた無数の動物たちと、犬、ウサギ、そして、少年たちの<動物つながり>、更には、少年たちの<探検心>が「世紀の大発見」に結びついたということである。

第4章 ラスコー洞窟への招待。
次の5ヶ所が再現されている。
・「褐色のバイソン・ヤギの列・ウマの列」
・「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」
・「背中合わせのバイソン」
・「泳ぐシカ」
・「井戸の場面」

「ラスコー展」の全貌をここに綴るつもりはなく、図形や記号を中心に綴っておきたい。

「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」の壁画の中の<記号>を視認!
解説。
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黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号
・中央に大きく描かれた黒い牝ウシの背後を、様々なポーズをした20頭のウマが行進しています。
・ウシの角は先端だけが黒く塗られ、鼻先の線は舌を出しているようにも見えます。
・奇蹄類で1本指のウマと、偶蹄類で2本指のウシを脚は、しっかり描き分けられています。
・ウシの足元にある謎の四角形記号は、赤・黒・茶・紫で色づけられています。
---------------------------

「ウシの足元にある謎の四角形記号は、赤・黒・茶・紫で色づけられています」とある。
有難い解説である。

特殊ライトで浮かび上がる「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」。
ウシの足元の、謎の四角形記号を視認。
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特殊ライトが消え、彩色された壁画が現れる。
謎の四角形記号をしっかりと見る。
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アップで。
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再び、特殊ライトが点灯し、謎の四角形記号の輪郭がくっきりと現れる。
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アップで。
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「ラスコー展」での記号に関わる解説は、然程、多くはなく、この「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」に関わる1行の解説のほか、後程、巡った二つのコーナーで解説があったのみである。

第5章の「ラスコーの壁画研究」のコーナーでの映像解説によれば、紫色が使われているのは、謎の四角形記号、ただひとつであるとのこと。
紫は貴重な顔料であったのかもしれない。
紫は何を意味していたのであろうか。
そして、枡形に仕切られた四角形は何を意味しているのであろうか。
映像解説の中で、枡形に色を塗っている様子が映し出された。
そのとき、この四角形は図形や記号ではなく、色合いを調合するパレットの役目をしていたのではないかと想像した。
ひょっとしたら、この素人考えが新説となるかも...。

壁画の記号のほか、第6章の「クロマニョン人の世界 芸術はいつ生まれたか」のコーナーに展示されていたトナカイの角で作られた投槍器に、線刻された動物と共に、楕円や菱形などの記号が刻まれていた。
楕円と菱形をTBS「世界ふしぎ発見!」で登場した「32の記号」で探してみた。
楕円(oval)はあるが、菱形は見当たらなかった。

TBS「世界ふしぎ発見!」の中で、古人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー女史は、洞窟の壁に描かれた図形や記号のみならず、無数に描かれた「点(dot)」の集合体にも拘っていた。
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「ラスコー展」では、顔に点で<化粧>する様子が展示されていた。
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この<化粧>も何か意味するものがあるのであろう。

以上が、「記号の謎」についてである。。
記号のことだけに留めようと思ったが、再現された5ヶ所の洞窟壁画のうち、5ヶ所目の「井戸の場面」は先の4ヶ所と画風を異にしており、続編で、「井戸の場面」について少々触れておきたい。

フォト#2~#8、#16:2017年1月21日from TBS「世界ふしぎ発見!」
フォト#1、#9~#15、#17、#18:2017年1月26日@「ラスコー展」

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-27 23:51 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『前原古墳で鳥見』

あなたは誰ですか?
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はい、ヤマガラです。
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1月13日。
手賀沼北岸の高台の古墳をめぐった。
ドラポタの盟友、武衛さんから、1月15日に予定しているポタリングは手賀沼周辺の鳥見との希望あり。
鳥見は偶然に遭遇という側面があるので、空振りもあり得る。
それでは気の毒なので、最近、傾注している古墳めぐりも加味してと思い、手賀沼北岸の台地にある三ヶ所の古墳、香取神社古墳群、水神山古墳、前原古墳を下見がてら、久しぶりに訪ねたのであった。
三ヶ所の古墳のひとつ、手賀沼を一望できる高野山桃山公園にある前原古墳に立ち寄ったとき、次々と鳥が現れた。

ヤマガラに続いて、コゲラが登場。
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あなたは誰ですか?
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はい、メジロです。
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シジュウカラも登場。
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夕方3時過ぎということもあって、光線の具合が難しいが、高野山桃山公園の前原古墳あたりは鳥見スポットであることが分かった。

翌14日。
前日の前原古墳での鳥見に味をしめて、朝、再び、前原古墳へ。
鳥影は皆無、今日はハズレかな?と思った瞬間、エナガの群れが現れた。
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エナガの群れが去ったあと、今度はメジロが現れた。
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明日15日、武衛殿との手賀沼周辺鳥見ポタのときも鳥影が多ければいいのだがと思いながら、手賀沼北岸の台地から手賀沼遊歩道まで下る。
手賀沼を一周しようと東へ向かうも、相当の追い風。
ということは、南岸を走るときは相当の向かい風となろう。
手賀沼東端でUターンして、向かい風を軽減させるため、北岸台地沿いの里山の道を走る。
途中、雪雲が来襲、曇り空となり、更に風は増し、雪が舞い始める。
防寒はしているが、手足の指先が痛い。
しばらくすると、晴れに。
天気雨ならぬ天気雪、狐の嫁入り/雪の巻であった。

翌15日。
武衛さんと手賀沼へ。
快晴ながら、前日よりも更に風は強く、且つ、更に寒い。
手賀沼北岸、オオバン、オナガ、コブハクチョウ、ユリカモメなどのポピュラーな水鳥たちを眺めながら走る。
台地に上り、香取神社古墳群、水神山古墳、前原古墳をめぐる。
前日、前々日、鳥見を楽しんだ前原古墳だが、鳥影は皆無。
寒風、強く、鳥たちは巣篭もりしてしまっているのだろう。
北岸台地を下り、手賀沼遊歩道を走る。
ヒクイナの鳥見スポットで畔を眺める。
ヒクイナの姿はないが、2羽のバンが餌をついばんでいる。
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昨年末、ここでヒクイナを撮った。
年が明けて、ここで、連日、Birderさんの姿を見るようになった。
昨年の暮れまではそんな姿はなかったのだが。
「おいらは昨年12月19日にヒクイナを撮影。登場時間は僅か、5秒。12月19日付けブログに掲載しています」と話ながら、東へ走る。

手賀沼南東端に至る。
強い、北西の風。
サーフィンが出来るくらいに湖面は波立っている。
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手賀沼の平均水深は0.95メートル。
湖底の泥が巻き上がり、水の色は無残。

向かい風の強い南岸を走るのは止め、東端でUターン。
前日と同様、向かい風を避けるため、台地沿いの里山の道を走る。

蝋梅が見事に開花。
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冬晴れの青空に蝋梅の花の色が映える。
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駅前の蕎麦屋に入り、一息ついた。

フォト#1~#7:2017年1月13日、手賀沼北岸/前原古墳にて
フォト#8~#10:2017年1月14日、同上
フォト#11~#14:2017年1月15日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2017-01-17 23:55 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『ビーズのような目の、エナガちゃん』

ビーズのような目の、エナガちゃん。
でも、ピン甘。
ゴメンネ。
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フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて。
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# by ryujincho | 2017-01-17 23:54 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『逆光の葦の原に鳥影』

手賀沼北岸。
逆光の葦の原に、鳥影。
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「おいらだよ」と、ホオジロ。
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フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2017-01-17 23:53 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『メジロの正面顔』

1月17日(火曜)、晴れ。
手賀沼鳥見ポタリング。

念願の、メジロの正面顔を撮ることが叶った。
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でも、メジロの正面顔は何だか不気味。
やっぱり、横顔がいい。
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フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2017-01-17 23:52 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『葦の原のメジロ』

1月17日(火曜)、晴れ。
手賀沼を鳥見ポタリング。

葦の原で群れている鳥影あり。
葦の原で群れる鳥といえばスズメが定番だが、スズメではないことは直ぐに分かった。
目の周りにくっきりと白いリングがあったので。
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何故、メジロは目の周りに白いリングがあるのだろうか。
これは、何故、カラスは黒いのだろうかというものと同じなので、愚問ではあろう。
だが、その答えを強いて探すとせば、「ウグイスとの違いを示すため」であろう。

メジロとウグイスの違いは、アイリングの有無のほか、鳴き声が異なること、うぐいす色と呼ばれる色はウグイスよりもメジロの色であること、ウグイスは警戒心が強いが、メジロは警戒心は薄く、その姿をゆっくりと見せてくれるということなど。

次回は、メジロの正面顔を是非撮ってみたい。

フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2017-01-17 23:51 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 12日

『東京の灯よいつまでも/両国 もヽんじや(下)』

1月11日、午後5時。
両国「もヽんじや」、開店。

先ず、麦酒で乾杯。
猪のもつ煮が運ばれて来る。
続いて、猪鍋の肉と野菜、豆腐、しらたきが運ばれて来る。
仲居さんが割り下の入った鍋に肉と野菜、豆腐、しらたきを入れた。
「これ、何人前ですか」。
「二人前を煮て、食べ終わったら、残りの二人前を煮ます。しっかりと煮た方が美味しいです。しばらくお待ちください」と言い残して去って行った。
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鹿刺しが運ばれて来た。
鹿の竜田揚げも運ばれて来た。
熊汁も運ばれて来た。

鹿刺し。
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食い気が先走り、鹿の竜田揚げと熊汁は撮り忘れた。

ぐつぐつと煮える猪鍋を前に、ご機嫌の大給守さんと伊豆守さん。
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「猪鍋は食べ頃です」と仲居さん。
「猪は何処産ですか」。
「丹波篠山です」。「
「我が国許では、ぼたん鍋と称し、やはり、丹波篠山産。直近で、ぼたん鍋を食ったのは2013年の冬だったなあ。兵庫県の越知川上流のコテージでハリポタのプチ別荘遊びをしたときに、ハリポタのメンバーが丹波篠山から猪肉を取り寄せよったんだよね」。
「鹿はニュージランド産。熊はツキノワグマで国内産です」。
「2011年の冬、ニュージランドを旅したとき、羊の放牧と並んで、鹿の放牧を見ました。鹿肉はヨーロッパ向けと言っていましたが、日本にも流通してたんですね」。
「信州からは来ることはありませんか」。
「信州はないですね」。

焼酎をボトルで注文する。
お湯と水、氷も。
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「この店にはお相撲さんも来ますか」。
「そうですね、時々。こう言っては何ですか、四つ足なので、お相撲さんによっては縁起を担いで敬遠する人もいます」。
「なるほど、四つ足ね。昨年末の『赤穂浪士討入凱旋の旅』のとき、本所松坂町の『吉良祭元禄市』で食べたちゃんこは、春日野部屋風で、豚肉だったなあ。毎年、鶏肉だったのに」。

店に入ったときは、我らのグループだけであったが、いつの間にか、満席に近くなっていた。
隣の席では、カップルが猪鍋をつつきながら、赤ワインを飲んでいた。
皆、ジビエ、ゲーム、いや、百獣(ももんじゅう)が好きなのである。
(註:「百獣(ももんじゅう)、「ジビエ」、「ゲーム」のあれこれについては、上の巻をご覧ください)、

猪鍋の第二ラウンド。
(写真解説)指でツンツンしているのではありません、これはセリです、と指差しているのです。
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「あー、喰った、喰った」。
「最初、ちょっと甘めやなあと思いましたが、ちょうど、ええ味やったですね。関西の味付けとは違う、江戸の味やね」。

焼酎のボトル2本を空けた。
締めの乾杯、、、とはならず、、、
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焼酎での、締めの乾杯とはならず、日本酒を二合徳利で数本、頂戴した。

宴は終わり、1階で再び<取材>を。
熊の毛皮、鹿の毛皮。
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「女将さん、これ、何でしょうか?熊の鼻?」。
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「そうです、熊の鼻です。皆さん、触っているうちに、鼻がもげちゃったんです」。

毛皮の前で記念撮影。
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大サービスで、もう一枚。
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表に出て、記念撮影/その1(カメラマン、大給守さん)。
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表に出て、記念撮影/その2(カメラマン、上総)。
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表に出て、記念撮影/その3(カメラマン、上総)。
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「ありゃ、人物、真っ暗け。取り直します」。
表に出て、記念撮影/その4(カメラマン、上総)。
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表に出て、記念撮影/その5「金の猪」(カメラマン、上総)。
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毎年末、「赤穂浪士討入凱旋の旅」の途中、眺めて来た「金の猪」だが、猪鍋を味わったあとの「金の猪」の姿は格別である。

JR両国駅へと向かう。
回向院に差し掛かる。
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「月明かりもあるし、夜の回向院に参っておきましょう」。
回向院の境内に入り、ぐるっと巡り、再び、門の方へ。
前方を歩く三匹の熊さん、いや、御三人さん。
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「手が、熊になっちまった」と大給守さん。
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「手が、熊になっちまった」は、脚本家、上総の脚色。
本当は、「この手袋、例の手袋なんです」という言葉であった。
この皮手袋は大給守さんにとって思い出深い手袋なのである。
或る日、某地下鉄駅の露天販売でこの手袋を買った。
露天商曰く、鹿皮製だと。
しばらくすると、縫製が悪く、縫い目が解け、バラバラになってしまった。
自ら手直しし、愛用している手袋なのである。
鹿皮製であることは間違いないようだが、さて?
因みに、値段については聞かされていない。

「東京の灯よいつまでも」。
この標題は、近々、東京を離れ、国許に隠居する大給守さんの気持ちを代弁してのものである。
回向院前の交差点に立ち、JR両国駅方面を眺める。
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「東京の灯よいつまでも」ではあるが、現在の両国一帯について、若干、補足しておきたい。
その昔、現在の両国一帯は江戸ではなかった。
隅田川を国境として、西は武蔵国、東は下総国であった。
両国橋は万治2年(1659年)(寛永元年(1661年)との説もある)に架橋された。
武蔵国と下総国に跨っていたことから両国橋と呼ばれた。
貞享3年(1686年)に国境が変更され、現在の両国一帯は武蔵国に編入され、北は本所松阪町、南は深川として江戸の一画となり、明治に入り、東京になった。

諸般の事情で南国守さんは参加が叶わなかったが、大給守さん、伊豆守さん、武衛さん、上総の4名は「もヽんじや」の野獣肉コースに大満足の夜となったのであった。

フォト:2017年1月11日
フォト#3,4、910、11:大給守殿提供

(完)
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# by ryujincho | 2017-01-12 23:52 | 東京の灯よいつまでも パート2 | Comments(2)
2017年 01月 12日

『東京の灯よいつまでも/両国 もヽんじや(上)』

両国「もヽんじや」。
念願の猪鍋を食すことが叶った。
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何故、念願の、であったか。
それを語り出すと少々長くなるが、綴っておこう。

jitensha club ドラポタの年末恒例の企画は、本所松坂町吉良邸跡から高輪泉岳寺まで赤穂浪士ゆかりの地に立ち寄りながら走る「赤穂浪士討入凱旋の旅」。
JR両国駅前に集合し、吉良邸跡から回向院、そして、両国橋東詰めの袂に立つ大高源五の句碑「日の恩や忽ちくだく厚氷」に立ち寄ることを恒例としている。
その途中、「山くじら もヽんじや」の看板と金色の猪を眺めるのも恒例となっている。
一度、店に入ってみたいなあと思いつつ、いつも金の猪を眺めるだけであった。

昨年末の「赤穂浪士討入凱旋の旅」は、12月10日、武衛さん、南国守さん、上総の3名にて挙行。
「もヽんじや」の店先に置いてあるパンフレットを手に取り、目を通す。
「大給守さんの壮行会を兼ねて、ドラポタの新年会はここでやりましょか」。
「それがいいですね」。
「では、忘年会の席で評定し、決めましょう」。

大給守さんは年末をもって江戸勤番を終え、仕官先を完全リタイア、年明けに引っ越し、国許で隠居ということと相成り、国許の獣肉の流通ルート確立のためにも、「もヽんじや」で市場調査をしておくのもよかろうということも、「もヽんじや」で新年会兼壮行会を開催する背景にあった。

12月15日、大給守さん、伊豆守さん、武衛さん、南国守さん、上総のメンバー5名、全員打ち揃いての忘年会での席で評定。
「新年会兼大給守さんの壮行会を両国『もヽんじや』で行いたいと思います」。
「賛成!」。
「では、『もヽんじや』で決定とします。料理は野獣肉コース、税込金7,140文也。コースの品書きは、先付・猪鍋・鹿刺身・熊汁・鹿竜田揚と相成っております」。
「国許で熊を食したときは、毛が入っていましたね」。
「では、熊は外して、単品の注文で」。
「いや、いや、折角ですから、野獣肉のフル・コースでいきましょう」。
「では、野獣肉コースで、日時は1月11日(水曜)午後5時にて予約しておきます」。

1月11日(水曜)。
JR両国駅。
折りしも、両国国技館で大相撲初場所が開催中。
駅構内での展示物/往年の横綱の手形。
我らの世代は栃若時代。
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沿道といえば、永谷園、永谷園といえば、遠藤。
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今年中に大関と嘱望される正代と御岳海。
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午後4時半過ぎ。
勝負を終えて部屋へ戻る力士。
左側、ポールの外側で、力士を<出待ち>するファン。
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「山くじら もヽんじや」。
午後5時前、両国橋の彼方にうっすらと夕日の残光が。
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「江戸の味 もヽんじや」。
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江戸の味 もヽんじや Momonjiya
享保3年(1718)創業の猪料理店です。
「ももんじ」とは「百獣」のことで、四つ足の動物の肉を扱う店を「ももんじ屋」と総称しました。
現在は、この「もヽんじや」を店名にしていますが、正式には「もヽんじやの豊田屋」です。
しかし、屋号の豊田屋はどこにも掲げられていません。
元は漢方の薬屋でしたが、薬の一種として出した猪が人気商品となり、料理店へ転身しました。
猪の肉は、冷え性や疲労回復に効果があり、肉食が禁じられた江戸時代でも、「山くじら」と称して食べられていました。
猪は丹波や鈴鹿などから仕入れたもので、味噌仕立てのすき焼きにします。
その他、鹿刺し、狸汁など、他ではめったに味わえない珍しい肉料理が味わえます。
(図/江戸時代の宣伝チラシ)
墨田区
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「もヽんじや」のパンフレットでは、「ももんじとは、百獣(ももんじゅう)から発した言葉で...」とあり、「百獣」の読みがしっかりと書かれていた。
更にパンフレットを読み進むと、「猪鍋は、何より肉の良し悪しが肝心で、当店では、三重、滋賀、兵庫などから野生のものを吟味して取り寄せ、養殖ものは使用しておりません」とある。
養殖の猪もいるのである。

「ジビエ料理」という言葉をしばしば耳にする。
ジビエ(gibier)とは、フランス語で、狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣のことである。
日本で「ジビエ料理」という言葉がよく言われるようになったのは、いつ頃からであったろうか。
筆者は20数年前、英国に4年ばかり住まいしていたことがあった。
レストランのメニューに「ゲーム(game)」という欄があり、英国の伝統文化の一つである狩猟を「ゲーム」ということを知り、狩猟による鳥獣肉料理を「ゲーム料理」というのであった。
「ゲーム」、「ジビエ」というのもよいが、我ら日本人には「百獣(ももんじゅう)」が相応しいかもしれない。

表通りの壁に吊るされたイノシシ。
何だか、クマのようにも見える。
これまで毎年末に見て来た、この壁にぶら下がっていたのはイノシシであったので、イノシシだと思うのだが...。
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開店ちょっと前。
まだ、店内は灯りがついていない。。
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午後5時、点灯、扉が開き、暖簾が掛かる。
開店!
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「この店では、まだ、注連飾りは外していないなあ」と武衛さん。

先日7日に挙行した「ドラポタ走り初め」のときも、こんな会話が。
「松の内は今日まで。注連飾りや注連縄を外さなければなあ」と武衛さん。
「松の内は、関西では15日なんやけど、関東は7日なんやね」と上総。

帰宅後、調べてみた。
注連縄や注連飾りは、松の内が明ける頃に外すのがよいとされている。
松の内とは、門松を飾っている期間である。
松の内は、今では地域により異なっており、7日、10日、15日までなどがあるが、元々は全国的に1月15日までであった。
松の内が7日(或いは10日)までとなったことについては、江戸幕府の通達が絡んでいる。
即ち、
松の内は、元々、1月15日までと決められていた。
その頃は、鏡開きは1月20日に行われていた。
鏡餅に松の内の期間、年神様が宿っており、松の内が明けた後の1月20日に鏡開きをして鏡餅を食べるという風習であった/風習である。
江戸時代、慶安4年(1651年)4月月20日に徳川三代将軍家光が亡くなり、毎月20日が家光の月命日となり、月命日に鏡開きをするのはよくないということで、鏡開きを1月11日に行うようになった。
しかし、1月11日は松の内で年神様が宿っており、年神様に失礼であろうということとなり、寛文2年(1662年)、幕府は「1月7日を以て飾り納め」の通達を出したのであった。
幕府のお膝元である関東では松の内は1月7日までが浸透したが、関西では通達は浸透せず(江戸に対抗して無視した?)、従来通り、松の内は1月15日までのままとなったという。
なお、幕府の松の内短縮の通達には左義長(いわゆる「どんど焼き」)の禁止も織り込まれており、注連飾りを燃やす火祭りによる火災予防の意味もあったといわれている。
左義長禁止令は、明暦3年(1657年)の明暦の大火が反映されているものと思われる。

「もヽんじや」に話を戻そう。
「お二階へどうぞ」との案内を受ける。
一階に<取材>したいものが幾つか目に入る。
先ずは、ふたつを<取材>。

平成19年亥年、西暦2007年の年賀状。
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この年は、50代最後の年であったなあ...。

歌川広重「名所江戸百景 びくにばし雪中」。
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「びくにばし」は、現在の京橋の下を流れていた京橋川に架かっていた橋である。
この絵の手前左側に「山くじら」と大書された看板が、雪景色の中に置かれている。
その向かい側に「〇やき十三里」の看板がある。
栗(九里)より(四里)美味い十三里、焼き芋屋である。

年賀状と浮世絵を眺めながら、涎がじわーっと出て来る。
猪鍋が楽しみ、楽しみと思いながら、階段をとんとんとんと上がり、二階の席へ。

フォト:2017年1月11日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-12 23:51 | 東京の灯よいつまでも パート2 | Comments(2)